源兼昌 (みなもとのかねまさ)

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守

[現代和訳]
淡路島から通ってくる千鳥の鳴き声に、幾晩目を覚ましたことであろうか、この須磨の関守は

[作者生没年・出典]
生没年不明 金葉集 巻四 冬 288

[人物紹介と歴史的背景]
源兼昌の生涯は、76番で紹介した藤原忠通の主催する歌壇に出席していたことと、後に出家したことぐらいしかわかっていない。名門の村上源氏の末裔で(宇多源氏という説もある)今の岐阜県である美濃守の息子だから、衰退していく武家の代表で定家が百人一首に取り入れたのかもしれない。

そういう意味では32番の春道列樹に似ている。彼も「なんで入っているのかわからない人」だからだ。

身近な場所が出て来るとなんだか嬉しい

個人の存在に意味がないなら、「須磨」「源氏」「千鳥」という繋がりからは「源氏物語」の印象を深めるために入れた、という説の方が説得力があるだろう。私自身は、彼が平安末期 鳥羽・崇徳天皇のころの人だから「源氏側からの崇徳院のお供かな~」となんとなく考えている。でないと単純に「津軽海峡冬景色」みたいな歌で、終わってしまうような気がする。

左京大夫顕輔 (さきょうだいふ あきすけ)

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ

[現代和訳]
秋風によってたなびいている雲の切れ間から、もれでてくる月の光は、なんと清らかで澄みきっていることか。

[作者生没年・出典]
生年 1090年 没年1155年 新古今和歌集 巻四 秋上 413

[人物紹介と歴史的背景]
84番の藤原清輔の父親。実はさきほどの源兼昌を「源氏側からの崇徳上皇のお供」と考えたのは、この藤原顕輔が、崇徳上皇が編集を命じた「詞花集」の撰者だったからだ。同時代の歌人がいた方が「寂しくない」だろう。

特に崇徳院が「詞花集」の前の「ウオーミングアップ」のように編集した「久安百首」は秀歌が多い。その中の一首がこの歌だ。また「久安百首」には、定家の父 俊成も関わっている。歌人 定家には縁の深い歌集だ。

待賢門院堀河(たいけんもんいん ほりかわ)

長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ

[現代和訳]
末永く合って欲しいと思う気持ちで乱れているので、私の黒髪まで乱れています。それで今朝は物思いに沈んでいるのです。

[作者生没年・出典]
生没年不明 千載集 巻十三 恋三 801 中古三十六歌仙の一人

[人物紹介と歴史的背景]
本名は不明。崇徳上皇の母 待賢門院に仕えて「堀川」と呼ばれた人だ。この歌も「久安百首」に載っているから、やはりこの人も崇徳上皇の「お供」だと思う。男ばかりではむさくるしいからだ。

歌自体は例の「後朝の歌」を待っている時の女性の不安な気持ちを詠ったものだ。歌の情景は、フランス映画なんかにあるシーンに似ていて、一番エロくて、一番「良い」歌かもしれない。

ご本人の歌が見つからなかったのかもしれない

実は、定家は、待賢門院本人の歌を選びたかったのだろうが、適切なものがなかったのかもしれないし、遠慮したのかもしれない。そこで「そのお世話係り」にあたる女性の歌を選んだとと同時に、その名に「待賢門院」の名前をわざと入れた=名義借りなのではないか、と私はにらんでいる。しかし堀川さん自身が歌の名手だから、歌で選んだのなら、この考えは「半分当たり、半分はずれ」かもしれない。

ただし、この理屈は88番の「皇嘉門院別当」のところでも当てはまりそうだ。やはり保元の乱からみの人間関係が浮かび上がってくるからだ。