更新が遅くなってすみませんでした。

色々忙しくて、中々ブログに手が回りませんでした。

さて本題です。塾を始めた時から、なるべく生徒に言わないようにしている言葉が「将来役に立つから」です。ただし数学の大切な基本技術を覚えてもらう時は「何気ない公式だけど、後で効いてくるから覚えておこう」ぐらいは言います。ここではもっと大きな話です。

最初はなぜ言いたくないのか、使いたくないのか自分でもわからなかったのです。自分自身が子供のころから言われたくなかったというのもあるし、両親や祖母もあまり使ってなかったこともあります。

昔はよく身近で人が亡くなることが多かったから

私は案外小さいころから、そう小学生や中学生のころから「人は案外に、突然死ぬ」ということを知っていました。小学校の時、割合に親しい友人の一人には3才年上のお兄さんがいました。その人は読書家で、賢く、もの静かで、言葉使いも穏やかな人でした。しかし別れは突然に来ました。1週間ほど学校でなぜか友人に会えず、久しぶりに再会したときに、彼の兄が急に亡くなったと聞いて驚きました。心臓に先天的な病をもっていて、いつ死ぬかわからない運命だったのです。

私の祖母との別れもあっけないものでした。私の部屋にふらっと入ってきて「頑張って勉強しているか?」と言い、いつものように飄々と自分の家に帰り、その2日後の朝に発作を起こして倒れ、次の次の日にはあの世に旅立ってしまったのです。おまけに飼っていた猫まで、半年後には死んでしまいました。まるで後を追いかけるみたいに。中学生の時でした。

数多くの震災や災害がそれを補強した

このように元々「人は案外に、突然死ぬ」という考えを持っていた私に、さらに「念を押した」のが、阪神淡路大震災であり、その後に続く東日本大震災、近辺近年では大阪北部地震でした。阪神淡路大震災では、ほぼ一日で、2000人近い人々が命を失くし、結果的には6000人以上が亡くなり、東日本大震災では2万人近く、大阪北部地震は死者数は少なかったですが、都会の古い住宅の被害や、小学校の塀が崩れて、女子児童が死亡などがありました。

1995年1月16日の晩に、2011年3月11日のお昼に、2018年6月18日の早朝に、もうすぐ自分は死ぬということをわかっていた人など、恐らく皆無だったでしょう。そしてそれは老若男女問わずに平等です。これらの出来事は「人は自分がいつ死ぬかもわからずに生きている。自分も含めて将来などないのかもしれない」と、私の価値観を再強化したと言っても差し支えないでしょう。

どうすればモチベーションを保てるかが問題

だからか、最近は特に「将来役に立つと言っても、その将来がないかもな」ということが多いです。しかしこれでは生徒のモチベーションを保つことは難しいです。ではどう訴えるのか?

私は問題を解決するには、なるべく単純な方法が良いと常に考えています。細かいことは後で修正すればいいからです。だから悪い点数を取ってしまった人には「それで気持ちいい? 満足?」と問うようにしてきました。もちろん気持ち良いとか満足なわけがないですから、全ての人が例外なく「良いわけが、満足であるわけがないです」と答えます。

不愉快なものをなくすために向き合う

「ではその不快感を失くす、あるいは減らすためにはどうしたらいいでしょう? 自分の欠点を認めて、それを修正するように練習し直すしかない」と合意を取ることから始まります。そんな気持ちだけで大丈夫か?と思われるでしょうが、人間であるかぎりプラスもマイナスやはり感情が行動を支配し、行き先を決定することは多々あります。

悪い点を取ってしまうと、色々不具合が生じます。それは対親・保護者であったり、対友人であったり、対兄弟姉妹だったり、極端な場合は個人の人格に乖離現象的なことを起こしたりします。それを避ける、止める方向にもっていくのが基本戦略です。

そして少しでも良い点数を獲得できたならその時の気持ちを絶対に忘れないこと、またそれをもう一度味わおう、と決意することから、次が始まります。これが「成功は成功の元」というわけです。

「ハイキュー!!」にピッタリのシーンがあるので紹介

漫画「ハイキュー!!」でもありました。主人公の一人である烏野高校の1年生ブロッカー月島君は少しひねくれていて、「なぜそんなに部活に打ち込むのか?」と夏の合同合宿の練習中、疑問に思っています。その質問に対して、梟谷高校3年生のエースアタッカー木兎君は「君はヘタだから面白くないのだ。オレはうまいから面白い」と返します。しかしさらに意外なことを言います。「そんな(うまい)オレでも、バレーが好きになったのは、実は最近だ」と。本番はここからです。上段の左から右、下の段も左から右へ読んでください。

そして最後に木兎君は「それが、お前がバレーにハマる瞬間だ」と結ぶのですが、ここは実際に漫画を読んでください。今を生きる、極端な話、今のことしか眼中にないような中学生ぐらい人たちを説得するとしたら、このような言い方の方が良いような気がします。

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ちょっと話は変わって…
昨日で受験が全部終了しました。ほぼほぼの人たちが第1志望校に合格して、私のミッションは終了しました。コロナ騒動に引っ掻き回された2年と半年でした。マスクもスーパー任意になったし、5月にはコロナも5類になるそうで、いよいよ「終わり」です。この期間、色々な意見が百出して、色々な人たちの気持ちの良い言動、気持ちの悪い言動、場合によっては醜い言動から人間の業を見てしまい、色々な意味で大変に興味深かったです。

どちらにしても、コロナに罹患して亡くなった方々にはお悔やみを、苦しまれた方々、苦しんでいる方々にはお見舞いを申し上げます。そしてアレを接種した後、体調不良に陥った方々や、最悪お亡くなりになった方々には、救済(正確には賠償ですけど)がありますように、心から祈っています。

私は Twitter はやっていませんが、アレの接種が始まった初期の段階で、ネットサーフィン中にこの奥様を「発見」して、その言動に注視し、今では陰ながら応援しています。皆様もぜひ一度、この方の記事をお読みになってくださるように、お願い申し上げます。

須田 睦子(すーさん)

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そして、最初から、さらに今でもずっと疑問に思っていることが一つ。それはこのコロナ禍は、そもそも本当にパンデミックと呼んでいいのか、巷でよく言われる「スペイン風邪に匹敵するぐらいのパンデミック」だったのか?です。

スペイン風邪は、1918年から1920年ぐらいにかけて流行し、あくまで推定ですが、5000万人から1億人が死亡したとされています。もし1億人の死亡なら、日本人がほとんどいなくなる計算で、怖いですね。ちなみにスペイン風邪では、日本では約30万人が死亡しています。

話を盛るのは好きではないので、「話半分」ということにして、一番少ない死亡者5000万人の50%、2500万人がスペイン風邪で死亡したと仮定します。スペイン風邪が流行した当時の地球の人口は15億人から20億人ぐらい、一説では30億人とも言われています。で、現在の地球の人口は約2倍~3倍の約70億人~75億人です。すると単純な比例計算では、2500万人の2倍~3倍、5000万人~7500万人がコロナが原因で死亡して初めて「新型肺炎コロナウイルスはスペイン風邪に匹敵するぐらいのパンデミックを引き起こした」という称号(?)を獲得できることになるでしょう。

そこで先日、この2年半の間に新型肺炎コロナウイルスで何人が世界中で死亡したのか検索してみたら…WHOによると約430万人とのことでした。もちろんすごい数字には違いがないのですが、これでは5000万人~7500万人の約10分の1~16分の1弱でしかない。ただし関連する死者を入れると1500万人だ、という試算もあります。それでも5000万人~7500万人には全然足りないです。

ましてや、20世紀初期の段階では、地球上を長距離移動するには、汽車か船舶しかなかった。例えば、東京からロンドンに行くには船舶で約1ヶ月、シベリア鉄道を使うと半月でようやっとヨーロッパ入りができます。でも今は、民間航空機の飛行ルートの発達で、前世紀より地球はすごく狭く小さくなっているし、自由貿易思想の定着により、人や物資の往来の頻繁さも前世紀の比ではありません。それらを考慮すると増々、少な過ぎませんか?

となると、むしろ「パンデミックになるかもしれなかった病気を抑え込んだ、現代医学の勝利である!」と医学会が誇っても良いよう思えるのです。しかし大手メディアのニュースに流れる日本の医学会の意見は「コロナはまだまだ危ない病気だ」という印象しか見えません。何だか妙に胡散臭い感じがして、気持ちが悪くなるのは、私の感性がどこか変なのかなあと、疑ってしまうのです。

ではまた来年度も頑張ります。