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数学も暗記がポイントだが、小学校の算数をまず確認する

最初に身も蓋もない話ですが、小学校の算数でいつも90点以上だったでしょうか?よく数学は「自分で考えるものだ」と言われますが、当方は「考える前に覚えることがある。覚えなければ考えることもできない」という立場です。

ただ「覚えること」も、数学の世界の中ではかなり基礎的なものばかりです。しかしそれすら覚えていない人には、問題は解けないのです。

小学生レベルのことを確認することから始まります。
例えば
「時速30㎞は、毎時30㎞とも、30km/時とも、30㎞/hとも書く」とか
「そもそも時速30㎞とは『1時間で30㎞進む』を意味することを知っているか」とか
「30分は30÷60=2分の1時間と表す」とか
「45分は45÷60=4分の3時間と表す」とか
「12人は40人の何%かを求めるには、12÷40×100を計算する」とか
「40人の30%を求めるには、40×100分の30を計算する」とか
「『1人につきいくらになるか』『1個につきどれぐらいの重さになるか』を求める場合を『1単位当たりの個数を求める問題』といい、全体を1単位あたりの総数で割れば求めることができる」とか
「面積は底辺×高さ、体積は底面積×高さ」とか

そんなこと当たり前だろ~ということを確認しながら中学レベルに入っていきます。こうすることによってようやっと「aグラムのx%を表しなさい」とか「時速 bキロメートルで y 分進んだ時の距離を求めなさい」などの文字式レベルの問題ができる準備が完了するわけです。

小学校の算数で単元テストがいつも90点以上の人なら、大丈夫でしょう。しかしキツイ言い方ですが、70点以下だった人は「時期が過ぎると覚えていない・もしかすると、ほとんどわかっていない」と判断したほうがよろしいです。

できないことを他人に知られるのを極端に恐れる時代

できる人がいつの時代にも一定数存在するように、「そんなこと当たり前だろ~」ができない人はどんな時代でも多数存在します。ですから、変な話ですが「できない」ことを必要以上に恐れることは無意味です。

しかし困ったことに、現在の時代は、自分が勉強ができない、ということを他人に知られるのを「極端に」恐れる時代になっています。さらには勉強することは恰好悪い、その癖、人前で恥をかくのは絶対嫌だ、という矛盾した態度まで取ります。それこそ恥じるべきだと思うのですが、とにかく、さまざまな間違いを経験して初めて向上するという自然のプロセスを経ずに、間違えずに向上したいという、変な「不可能新興宗教」にはまっている人が多くなっている。これこそ救済しなければならない。得点力向上には一番邪魔なものだからです。

蛇足かつ余談ですが、遅刻を注意されただけで、新入社員が辞めた、本人は「恥をかかされた」と人事に主張する、そこで最近はこういう若者が多いから、企業担当者も注意しなければならない、と報じる記事などを見ると、ネット情報であり、信憑性に欠けるとしても、もしこれが本当なら、これからの日本は大丈夫かいな?と考えてしまいます。

さらには若い男性の草食化の原因の一つに、「告白して振られると、sns に晒されるので、怖くてできない」ということがあるそうです。こうやると人のプライバシーや感情を傷付ける結果になるんだ、という予想をしない時代になっているようです。想像力を鍛える練習をしていないのでしょう。

技術論に持って行く前に、クリアしなければならない「精神面」の方が多い、というのが現状です。保護者の方はこのあたりをよく認識する必要があると、当方は考えています。「君は世界に一つの花だ」と小学校で言われて、育てられてきたので、現実と向き合うことが怖い、という心をまず無くすことから始めなければならないのです。

発想を変えるように促すことから始める

次に、発想を変えるように促します。台風が来るのが分かっていれば、屋根や窓を補強し、溝を掃除するように、その弱点を突いてくるテストが、後何日かで確実にやって来るのなら、準備をするのが正しい。勉強することが恰好悪いのではない、自分の弱点を放置すること、勉強しないで悪い点数を取ることが、恰好悪いんだ。そして一生懸命に勉強したのなら、悪い点を取ったとしても恥じることではない、と。

また弱点をからかって笑うとか、人を傷つけて喜ぶような人は、友人とは呼べず、そもそも人として変であり、性格が何らかの原因でゆがんでいる恐れがある、だから気にすることはないし、近づかない方が良いのだ、と気が付かせなければいけないのです。

正負の数・文字式・方程式の徹底的な練習により「覚える」ことの再確認

さて小学校の基礎を復習しながら、中学校の数学に入るのですが、まず多くの人が正負の計算での、足し算=加法と引き算=減法で、俗にいう「ズッコケル」のです。試しに-5+3と-5-3、-3+5と-3-5はいくらになるか、ご子弟に尋ねてみてください。さっと答えたのなら大丈夫ですが、ここで考えているようでは、後が知れています。

つまり数学のできない人は、すでにここからつまずいているのです。ここをなんとかクリアできても、その次のよくある障害は、方程式の最後の詰めである3分の2x = 6など、xの係数が分数になった時、スムーズに解を求めることができないことです。これも試してみてください。もしスムーズにできないのなら…です。

で、それらを隠しているのです。自分の弱点を隠すのは昔も今も同じです。しかも現在は、先ほど申し上げた「若者は恥を恐れる強い風潮がある」ために、余計に隠し、難しい言葉で言えば「韜晦」するのです。そこを捉まえて「このままでは危ない」と諭さなければいけないのです。

できない原因は「型」を覚えていないから

できない原因は案外簡単で、「-〇-△は〇と△の絶対値を足して-を付けておけばよい、〇と△の大小など無関係だ」、とか、「ー(大)+(小)は大から小の絶対値を引いて-を付けておけばよい」とか、「分数係数になったら逆数を両辺にかける」とかを覚えていない、覚えるほど練習していないのです。

しかし「覚えておけばいい」と言うとなぜか反発します。「算数・数学は考える科目」と洗脳されているからです。そこで「あなたは5-3=2を一々考えていないでしょう。覚えるまで練習したから、覚えている、だから早く答えが出る。中学の正負の数も同じで、こんなものは基礎的過ぎて、考えるものではない。覚えて、使うだけ」と内実を教えることにしています。さらにはコンピューターのキャッシュの説明まですることもあります(キャッシュとはパソコンやスマホに一時的にウェブのデータを保存しておいて、次に同じページを開いたときに素早く表示させる仕組み)。

さらに、当方は「弱点を放置することが恰好悪いのだ」「プライドというのはできる人が持つべき・持つことができるもので、できない人がプライドと称するのは、単になまけ心である」「自尊心と言う前に、自尊できる自分を作ること」「尊敬できる先生を求める前に、先生から尊重される生徒になる方が早い」などと、時々強く注意することもあります。「自分大切教育」も行き過ぎると問題です。

「型を覚えること」は、現在ではあまり学校では強調されません。「型破り」が恰好良いのは「型」を習得した人にだけ当てはまるもので、そうでない人が一見「型破り」なことをしても、それは「無軌道、無茶苦茶」なだけだ、邪道を採るのは正道を知ってから、と諭す必要があるのです。ここは中学での勉強の一番大切なことですから、改めて、この場で強調させてもらいます。

継続する・させるために舞台装置を設定することも必要

もし数学だけを勉強するのなら割合に楽でしょうが、そうも行かないのが現状です。「英語の指導方法」で申し上げたように、英語だけでも十分大敵ですが、徐々に国・理・社も難化していくのです。しかし数学こそ、理想としては毎日ちょっとずつでもやらなければなりません。

家庭では、何時になったら始める、時間ではなく問題集の何番までやる、などのルールを設定することや、部屋の模様替えをして集中力を高める(そのために炬燵は撤去するとか)、数学だけはリビングで保護者の前でする、とかの工夫が必要です。貧乏漫画家が、木製のミカン箱で漫画を描いているイラストがよくありますが、数学を勉強するだけの机というのも、アイデアかもしれません。

次に小道具として、複数の同レベルの問題集を準備するのも良いでしょう。当塾でも学校採用の問題集を複数準備し、それを使い回ししたり、少し上の問題集に挑戦したりと、あの手この手で似た問題に当たる方法を採っています。

定規やコンパスがうまく使えているかや、立体図形が描けるかを確認する

落語で扇子の使い方が大切なように、定規やコンパスなどの文房具の扱いも大切です。現在の中学生は、立体図形も描けない人がたくさんいます。小学校では、ほとんどを用意されたプリントに書きこむことで済ませてるからだと推測しています。一律にプリントを配るのは、授業を円滑に進めるために、必要な手段でしょうが、容赦のない評価にさらされる中学校では、自分をもっと成長させなければ、通用しません。

試しに正四角柱を描かせてみてください。最初に平行四辺形を描いて、それぞれの頂点から4本の平行線を下す、ということを知らなかったりします。

平面図形でも同じです。正方形なのか平行四辺形なのか、よくわからない図を描いて平気な人もたくさんいるのです。そういう人が合同図形の証明で、問題に与えれた図を移す作業で、全くリアリティーのない図を「ちゃんと写した」と主張することもよくあります。平均以下の生徒はたいていそんなものです。一度試してみたらいかがでしょうか。定規も馬鹿にはできません。滑ってうまくいかない場合は「スベラーズ」という定規もあります。

以上のことを1年生で習得しなければならない

今まで述べたことを1年生の間に身に着けた人は、2年生から伸びていきます。逆に言えば、身につけ損なった人は2年生から、伸び悩み、落ちていきます。「中1ギャップ」という言葉がありますが、これには前半と後半があって、前半は小学校算数の基礎がないことが原因、後半は中学数学も算数と同じで、覚えるまで練習あるのみ! を怠ったことが原因です。その根底にあるのは、現状の「詰め込み教育の否定、しかし対案なし」と、精神的には「自分大切主義」であり、「できないことを極端に恥じる」間違った風潮です。

数学は人類発祥とともにある存在で、歴史は約1万年ほど。13才程度の子供が1万才の存在に勝てるわけがない。謙虚に「頑張って覚えよう」という姿勢こそが求められています。かのニュートンでさえ「私は、海辺で遊んでいる少年のようだ。ときおり、かわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに」と述べています。

ですから凡人である我々は、スティーブン・ジョブスがスタンフォード大学の卒業祝辞で述べたように、もっと学問の前には謙虚に、同時にハングリーに知り、そして知って覚えた後は「そもそも、なぜそうなるのか」と愚かに考えることが要求されているのです。

自分でできない人を当塾がサポートします

以上のことを、自分でできる人はこれからも頑張って欲しいと思いますが、できない人は当塾ができる限りサポートします。なるべく早く来塾して、計画を立てましょう。公立高校に行きたいのなら、なおさらです。

弾みが付けば、案外とんとん拍子にできるようにもなりますが、小学校の基礎がかなり疎かになっている場合は中々成績は上昇しません。あるいは別の原因(一番は読解力がないこと)が存在する場合もあります。それらを探り、対応策を早く考えなければ、時間はどんどん減っていきます。