遅くなって申し訳ございません。

春休みもあって、色々忙しかったのでご容赦願います。
改めて、新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
新2年、新3年の皆さん、進級おめでとうございます。
これからも1日1日を大切に学生生活を送ってください。良い友人、良い先生に巡り合えることを祈っています。

な~んて真面目に始めましたが、非常に気になるニュースがありました。
これです。

子供7割「勉強の仕方がわからない」過去4年で増加

教育改革しているのになぜ?

長期の学校休校やら、オンライン授業への無理矢理な移行などがあったコロナ騒動の影響もあるかもしれません。でも「過去4年間」と記事には書いてあります。となると、コロナ騒動前から潜在的にあった原因が、騒動の最中に浮かび上がってきたと考えるのが妥当かなと推理しています。今後の追跡調査が注目されます。

でも私個人としては「やっぱりな」という感想しかないです。特に最近、小学生の高学年~中学2年までの人たちに増えている、という肌感覚は正しかったと。案外、当方は勘を重んじる「外向型直感人間」なのです。

社会構造が原因かもしれない

これは「やる気がないからだ」のありがちな精神論や、「スマホばっかり見ているからだ」の現代的視点もあると思うのですが、それらも含めて、「小手先の問題」として捉えるのではなく、社会構造を原因として考えてみます。

なぜなら当塾には今までに色々な人が来ました。そして色々な事情があって、勉強のコツがわからないで成績が伸び悩んでいました。以前はそれこそ一人一人の、各ご家庭それぞれの問題だったから、あまり目立つことはなかったのです。

でもその原因が社会全体に増殖・拡張し、長年の間に積み重なり、その結果膨大な数を形成し、ベネッセなどの大手にまで情報が集まるようになった、と考えるのが自然ではないか、と。そこでいくつか上げてみます。できれば解決策も考えたいのですが、次の機会に譲ります。

人口減がいよいよ顕在化してきた

1つの事象でも、多くの人がそれに注目すれば、「三人寄れば文殊の知恵」とやらで、知見が増えて、解決策が見い出せるのはよくある話です。しかし人口が減り、子供の数が減り、相対的に子供たちにはやはり友達が減ってきています。

親にも同じことが言えて、同じ年代のママ友・パパ友はいたとしても、的確なアドバイスをしてくれる経験のある人たち(=自分たちより少し年令が上)に遭遇するチャンスもやはり減るのです。もちろんSNSなどで色々と知恵は受け取れるでしょうが、その地域地域にあったアドバイスを得る機会は減っているはずです。

収入減が続く日本社会

今までは一人が主に働いて、一人が主に家中のことを見ていましたが、一人の収入では賄えないために共働き夫婦が増え、話し合う時間が取れない、同時に子供の勉強具合も見れない社会構造になってしまいました。ただし私は専業主婦・主夫も共働き家庭も否定しません。そもそもそれは各家庭の「形」なので、他人がとやかく口を出すことではないです。

ただ問題はお金を稼ぐ・稼がなければいけないことに時間が取られてしまい、子供に目が届かなくなってしまったという結果が重要なのです。しかしそもそも勉強は家庭だけでやることではないのも事実で、一番多く時間を過ごしている学校がしっかりしていれば良かったのですが、これがまた問題で…。

運悪く学校の権威喪失

今の従順な生徒たちを見慣れている方々には信じられないかもしれませんが、1980年代は「荒れる学校」というのが新聞紙上を賑わせて、それが「学校が悪い!」⇒「学校叩き」の論調になり、某A新聞とかM新聞などに毎日掲載されていたのです。

ジェイムズ・ディーンの「理由なき反抗」の如く暴れていた生徒たちも十分悪いですが、当時はまさに権威主義の権化みたいな教師たちが学校で主流派だったので、どっちもどっちで、しゃあないかなと私なんかは思っていたことを覚えています。結果、「学校の権威失墜」へとつながり、教育界の人手不足と権威失墜が2000年ぐらいから現実化したのです。

さらに新聞の論調は「教師と生徒は対等だ」などの主張をいっぱい書いていたので、私なんかは朝は呆れていることが多かったです。あ、当時は新聞をちゃんと取って読んでいました。ワイドショーなんかも「教育はサービス業だ」とか言ってました。「開かれた学校を目指せ」には同意でしたけど。

学校側は委縮して「シュン太郎君」化し、「クレームを受けるぐらいなら、事なかれ主義でいくか…」と考えたのでしょう。事実、個人懇談で生徒を褒めることは多々あっても、欠点をずばりと指摘する先生はホントに減っています。もし欠点を指摘すると、当然「対応策」を求められ、それでは困ってしまうからかも。さらに現在、教師は授業の準備=教育だけでなく、生活指導=躾まで指導しなければいけなくなっています。これでは教師を目指す若者は減る一方だし、きめ細かい教科指導まで求めるのは、無理であり酷になります。

国会議員や有名人の「謝ったら死ぬ病」

関連して最近多いのが「完全に間違っているのに、絶対に謝らない人をテレビで多くみかける影響」です。孟子によれば「上の好むところ、下これにならう」ですから。そして「失敗するのが怖い」という動機を生み出す⇒質問したり・されたりの機会が減った⇒結果、打たれ弱くなった、のではないかと考えられます。

まあ誰でも失敗はしたくないのですが、それが子供の心に「間違えることは怖いものだ」と浸透してしまったのと私は推測しています。これでは「うまいやり方」を模索することは難しいです。

まだまだあるかもしれないけれど

まあこんなところでしょうか?
他にも色々あるなあ~と考えてはいますが、まだまとまっていないので、書くのはおいておきます。

まずは新学期の活動に頑張ってもらいたいですね。
ではまた。