仲間割れが起きて

事件の方だが、途中から、顧問教師のやってきた危ない面が色々とわかってきて、「これはマズイ」と思ったのだろう、校長先生が被害者側に「寝返って」、さまざまなものが明るみに出た、と聞いた。死亡した中学生の親御さんはこれを「事態が好転したのは、校長先生の英断」と褒めていた。

しかし、私は、自分の経歴に傷が付くと見れば、ためらいもなく下っ端を切り捨てる、目端が効く管理職の持つあの自己保身用決断力にはうっとりしてしまった、と告白しておく。もちろん陰で顧問には「因果を含めて」いたには違いない。たぶん多くの人間がそう思っていただろうし、在籍塾生の保護者もその多くの知り合いも「絶対そうだ」と断言していた。あざといことをするなあ、教育界はいつまで経っても身内に甘いな、と言う人も多かった。

転じて、塾生の保護者の方からは「先生も大変でしょうが、どうか見捨てないでください」的なお願いをされた上に、元々逃げる気も、放り出す気もさらさらなかった私だが、今から思えば、よくあの夏と受験を乗り切ったな、と思う。結果から言えば、その3人は秋以降に精神的には持ち直して、成績も上昇し、志望校に見事合格した。若いことはそれだけで柔軟性を担保する素晴らしい財産だ、を再確認した。うち1人は高校に入ってからも連絡を継続し、事情があって1年浪人したが、教育大学に進み、教師になった。そのころには洗脳も解けていて、「ああいう先生にはならない」と言っていたから大丈夫だろう。

結果として

民事訴訟では、過失相殺10対0で全面的に顧問に過失があるという判決、刑事告訴では、いったん不起訴になり、検察審査会の不起訴不当の議決を経て、4年9ヵ月が過ぎた2004年に、顧問教諭に「業務上過失致死罪」の処分が出され、5月10日に確定、罰金は50万円だった。平和な時でも命は安いな~と思ったが、めでたくその教師は「前科者」になったわけで、私は少しすっとした。

ちなみに私はその教師に会ったことはなく、実は顔も良くは知らない。ただどこかの道で少し小柄で日に焼けた健康そうな男性とすれ違ったときに、顔は知っていた中学の教師である人が「×〇先生」と声をかけたのに対して「ああ、△□先生ですか」と答えていたのを聞いて、「ああ、あれが前時代的な指導をしている×〇先生か」と認識したぐらいだ。

まとめて言えば塾としてはまさに「踏んだり蹴ったり」で、エライ目にあったのだが、中学校やその顧問から謝罪があるわけではなく、私は一人でプンスカ怒っていたのである。学校内でブイブイ言わせていたその顧問教師は、道徳的な責任は最初の不起訴時点でも十分にあったと思うのだが、迷惑をかけた生徒たちには一言もなく、まるで霧が消えるように学校からいなくなっていた。

この顛末にどうだかな~と呆れていると、元在籍性の文学少女に道端で出会った。彼女は高校を卒業して、とっくに大学生になっていたけど、妹が同じ中学通っていたから(その妹も塾生)、事情を知っていた。近況報告をしているうちに、あの事故・事件の話になり、×〇先生の話題になった時に、「いい気味」と薄く笑っていたのが印象的で、かつ少し周囲の気温が下がったような気がした。腕力のない分、思考力や想像力に長けている人間の方が、怒らせたら実はかなり怖いことは、歴史が証明している。

まだ続く。