そもそも熱中症という概念がなかったのは不運、しかし…
当時でも「日射病」という言葉は知っていたが、「熱中症」とはなんかいな、と疑問に思い、インターネットもあまり普及していなかったから、図書館で調べたり、知り合いの内科医にたずねたりしてそれなりに知識を深めることにした。そして日射病とは暑い日に太陽光線を浴び過ぎて神経感覚が狂う症状で、熱中症は太陽や季節に関係なく、気温・室温・湿度で引き起こされるとわかり、「こっちの方が恐ろしいな」と認識した。
ちなみに国立環境研究所において「熱中症並びに熱ストレスに関する研究」は、環境省地球環境研究総合推進費がスタートした1990年代から本格的に始められたことも知った。だから1999年の「川西市立中学校 熱中症死亡事件」は、まさにその「みさき神」であったのだが、多くの人間が知っている今のような熱中症についての基本的知識がなかったことは不幸でもあった。
しかし日射病という言葉は知っていたはずだ
でもこの事件は夏に起きた。夏≒日射病の危機ぐらいは常識だ。
昭和天皇が敗戦に打ちひしがれる国民を励ますために、1945年から50年にかけて日本国内を「御巡幸」されたが、その時に「夏場に私を迎えてくれる時、子供たちは日陰で待たせ、日射病にならように特に配慮すること」と侍従官を通して迎える側に注意を促しているぐらい、「日射病」という言葉は、当時でも極めて一般的な知識だったから、顧問教師も言い逃れは本来できないはずなのに、あの醜態は…である。
とにかく「熱中症」にならないように、気温・室温そして湿度には注意し、その予防は適切に水分を摂ることと、温度管理、そして体力維持だ、と知った。
ついでに「熱中症」が現在、完全に「メジャー」になったきっかけは、タレントの所ジョージさんが庭作業中に脱水症状で倒れたことを、どこかの番組で「告白」し、後に、経口保水液OS1のイメージキャラクターに起用されたことが大きいと思う。実は私はそのテレビ番組での「告白」のシーンをライブで見ていた。きっとOS1側も見ていたのではないか?
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いやもうスーパー猛暑としか言いようがないです。
夏休みが始まる直前に墓参り≒墓掃除に行ったんですが、到着した朝7時の時点でもう暑い!我が家の墓石の位置は、この時期7時30分を過ぎると、東側にある竹藪を超えて、殺人的な太陽光線が差し込んでくるので、30分しか時間がない!と思い、アセアセと掃除をして花を供え、線香に火をつけたのが、7時25分でした。セーフと思うでしょうが、お参りしなければいけない墓地は亡父のだけではなく、祖母と、祖母の関係の方たちの分もありますから、残念ながら、全部終わった時には7時45分で、もう周りは熱気に囲まれていました。
月面は昼は110℃、夜は-170℃、地球上ではアメリカ・カリフォルニア州のデスバレー(つまり「死の谷」)においては2020年8月18日に54.4℃を記録し、同所は1913年7月に56.7℃も記録しているから、それに比べれば確かに、まだましですよ。でも暑いものは暑い。日頃外に出ない身にとっては、これだけでも重労働な上に、エネルギーを使ってしまい、その日は午前中は元気が出なかったぐらいです。
さて、後少しで夏期講習半期が終了。倒れない程度に、体調管理に注意しながら頑張ります。