世界は凄い勢いで変化していた
教育界が内申書制度で生徒を押し付けている間に、世界は凄まじい速さで変化を遂げていた。まさに金太郎飴教育をやっていた日本が追いつけるわけがなかったのである。それでもまだ祖父母や父母の残した財産でなんとかやっていった日本であるが、アメリカ・クリントン政権の「情報(スーパー)ハイウェイ構想」が、マイクロソフト社とアップル社という「飛車と角行」を手に入れた時、超加速が始まり、さらにその裾野を広げたのはアマゾン社と言える。
デバイス面では、特にビル・ゲイツが「紙にペンや消しゴムを使って絵を描く感覚で、コンピューターで絵が描ける」コンピューターシステムの開発や、スティーブン・ジョブズがカセットテープやレコード盤という「媒体」を使わないで、音声を直接に録音再生できる機器を開発するのに力を入れたのが大きかった。基礎研究に人力と資金力を入れた勝利とも言える。そして彼らは大金持ちになった。約60年前に、テレビの仕組みはわからなくても、そこから「出て来るもの=番組」が魅力的だから人はテレビを買ったのと同じだ。
欧米の中長期的な計画には脱帽する
欧米人、特にアメリカ人の世界戦略構想は大体、20年~30年先を見込んで練ってくる特徴がある。例えば1941年8月14日に発表された大西洋憲章だ。これは第二次世界大戦終了後のアメリカとイギリスの目標を示した声明である。日付に注意して欲しい。「トラトラトラ」で有名な真珠湾攻撃が1941年12月8日だ。その前にもう「世界大戦が終わったら」なんて話をしていたのである。
あるいは、今、英語英語と草木もなびく世になっているが、これも昨日今日始まった話ではなく、源流は第二次世界大戦後のアメリカとイギリスの「世界英語普及構想」だ。ペニッククという人物が調べたところによると、戦勝国である米英二国は、新しい世界秩序を強固なもの=経済的に優位に立つ、にするには、まず英語の普及だと考え、イギリスがブリティッシュ・カウンシルという委員会を中心に、エジンバラ大学が陣頭指揮を取り、アメリカはフォード財団がワシントンに応用言語学センターを設立し、言語における帝国主義的な戦略を始めた、とある。
戦後始まった有名なフルブライト奨学金制度や、敗戦で、飢餓に苦しむ日本に投下されたガリオア資金も意地悪な見方をすれば、「米英に味方する日本人を増やすため」の政策とも受け取れる。こんな民族に勝てるわけがないのだ、という認識から始めなければならない。あるいは勝つつもりなら、相当腹を据えてかからねばならないのだ。しかしここでも危険はある。
別の意味の危険がある
「学校秀才はいざという時に対応できない」
「これからは尖った人材が必要だ」という意見が勢力を得ている。
これはこれで良いことだ。しかし日本はなぜこんなに極端から極端にぶれるのだろうか、不思議で仕方がない。いわゆる「尖った人材」にもレベルがあることに思い至っていないのだろうか?
もし今の日本の教育者や政治家が、GAFAの創始者の人たちのような人たち、つまり「能力は当然に持ち、同時にカリスマ性があり、さらには天運に恵まれた人たち」を生みださなければ、と考えているのなら、と焦っているようにしか、私には思えない。非常に危険な状態にある。
独裁者を望む心理
これは、混沌とした状況を打破するために、大勢が知恵を巡らすのではなく、一気呵成に解決するための劇薬である独裁者を望むのと同じではないだろうか。独裁者が大げさなら、詐欺師を呼び込む隙を作ってしまいそうだ。独裁者も詐欺師もある意味、似たところがある。で、本家のアメリカを見ていると、経済的独裁者が生まれたことにより、富は集中する、格差は広がる、彼らみたいになりたいためにその意見に同調する人が増え、結果、意見は単一化するなどで、メリットとデメリットを計算すると、収支はとんとんな印象が強い。
ちなみに、大衆はなぜ独裁者を望むのだろう?色々な意見がありそうだが、一番わかりやすい意見は、小説の中にあった。銀河英雄伝説の主人公の一人であるヤン・ウェンリーは、彼がまだ小学生ぐらいの時に、「銀河連邦の人たちはなぜ独裁者ルドルフ・ゴールデンバウムを支持したのか」と父親である恒星間貿易商だったタイロン・ウェンリーに問うたことがあった。父・タイロンはこれに対して「大衆が楽をしたがったから」と答えた。「誰かが行先を決めてくれるほど、楽なものはないからな」ととも付け加えた。極めて印象深い意見だ。
「有能な人間」を統御できるのか
さらには、「能力は当然に持ち、同時にカリスマ性があり、さらには天運に恵まれた人たち」を、教育界に属する平凡人が制御できるわけがないし、教育界に属する人は「平凡な人間」であることが前提であることを忘れていないだろうか?
今の日本に必要なのは、GAFA創始者のような超ビッグな人材ではない。むしろ嘘をつかず、くそ真面目にこつこつと、王道を貫く努力を継続できる人材だ。実はそれこそが日本に必要な「尖った人材」なのである。ビル・ゲイツもスティーブン・ジョブスも、若い時は、それこそ自宅の自室やガレージの中で自分の技術をコツコツと磨いていた。彼らも偉いが、もっと偉いのは彼らを見守った親や保護者、そして友人ではないだろうか?輝く現在の彼らよりも、私は若い時の彼らに会って話を聞いてみたいと思うぐらいだ。
内申書制度を改革する、という意見は尊重するべきだが、それを事実上廃止した時に、今度は教育界に所属する平凡な人たちが、荒ぶる人材を制御できるのか?という問題に直面することを、予想しておく方が、今後役に立つだろうと私は考えている。