表と裏が噛み合わないので少し混乱

いつも支離滅裂なことをばかり書いている自覚はあるのだが、最近特に、世の中の表面の事象と、裏の事象が噛み見合わないことが目立つので、余計に「何だかなあ~」と思い、戸惑っている。

私はいわゆる詰め込み世代の最終に所属(?)していた人間で、大げさに言えば、「弱肉強食」「適者生存」「優勝劣敗」「知こそ力なり≒知らない奴は使い物にはならない」という自然界の掟めいた雰囲気で育った。もっとも「弱肉強食」よりは「適者生存」の方が自然界のルールらしい。

まあそれはさておき、「途中の努力より結果重視」のノリで学生時代を送った記憶がある。事実、できる級友の多くは授業中は寝ていて、授業の終わりの質問時間にムクッとおきあがり、授業とは無関係の範囲の質問をすることなど当たり前で、先生もそれに平気で答えるような光景は当たり前だったし、しょうもない授業をする先生のことはあからさまに馬鹿にしていた。

優しい時代になったけど

対して、現在の世情は、特に教育界では、生徒には「寄り添って指導」、「上から教え込むのは止めるべき」、「自主性を重んじよう」ということが主流になり、「優しい世界」になったなあ、と自分がそうでなかったから羨ましく思っていた。

その反面、現在の社会人、特にビジネスの世界はどうなんだろうか? と疑問に思った。私は会社勤めの経験がないので、ある意味大勢で一つのことに立ち向かえる体制が羨ましく、同時にそこに何かヒントがないかと考えて、ビジネスサイトを「情報収集源」としている。ただビジネスサイトにも色々あり、エライ人がエラソーに意見を述べるサイトはざっと見るだけにしておき、30才~40才ぐらいの人たちが運営していると思われるサイトを特に重要視している。

というのは、今30才~40才の人たちは「ミレニアム世代」と呼ばれ、企業の中では中間部の実行部隊を担っている。同時に起業する人たちも多い。そして彼らが学生だった15年~20年前は、「終わりなき日常」などと言論界が流す緩~い空気と、教育界のこれまた緩~い「ゆとり教育」の時代を生きてきた。それに流されないように生きなければならない、学生にとってはある意味「試練の時代」だったと言える。そういう彼らをトレーシングしたくなったからだ。

いわゆる「ゆとり世代」と現実のビジネス社会

当時は勉強しない人が多くて、こちらはその「時代の雰囲気」を排除するのに非常に苦労したが、こちらの指示を守ってくれた人たちは、一応の基準を満たしてくれて、社会に出て、それなりに頑張っている。また20年前から「派遣の品格」などのTVの美声に胡麻化されて、「正規・非正規待遇問題」が生まれてきた時代でもあったから、その現状を知りたいのと、今後に生かしていきたいからだ。

今回紹介したいサイトが Books Apps だ。まずは下の記事を読んでいただきたい。短いがインパクトがあると思う。

仕事ができないのに、プライドだけは高い社員をどう扱ったら良いか

さて、この記事の対象になるぐらいだから、それなりの会社に入っているだろうし、ここでいう「できない人」もやはりそれなりの人であることは間違いはないだろう。学校でも成績が下の方から数えたほうが早いというタイプではないはずだ(たぶん)。でもこの体たらくはどういうことだろう。

何かイメージが合わない…昔とどこが違うのか

コナン君ではないが「あれれ~」だ。世界や社会は、特に伸びていく会社は全然優しくなっていないではないか! さらには、又聞きではあるが、昨今では上司の指示に従わすに、後輩やら新人やらがまずい失敗をしても、あからさまに叱ったりはしない。するとパワハラだとか騒がれるからだ。

そこで、失敗した時の後輩君やら新人さんの反応やら対応などを、逐一人事に報告すれば良い、というシステムになっているところも多くなっているらしい。上司の指示に従わない、成績の良くない後輩君や新人さんはある日、人事課に呼び出されて、先ほどの記事のような「忠告」を受けるのである。密告社会とも言える。いや、これでは優しいどころか、むしろ陰険さが増しているような気がする。

時代が変わっても変わらないものがある

ただ正直な気持ちを吐き出させてもらうなら、「時代が変わっても変化しないものはある」という感想を持った。自分でやらねばならないことは、自分でやらねばならないし、自分で気が付かなければならないことは自分で気が付かねばならないし、欠点を放置するのはやっぱりだめである。また技術をアップしなければ、地位はともかく、報酬はまずアップしない。当たり前と言えば当たり前だ。

優しい世界になった、というのはどうやら錯覚か幻想で、むしろもっと厳しい時代になった、と覚悟する方が良いのではないだろうか。これが今、「世の中の表面の事象と、裏の事象が噛み見合わない」と最近の私が困っている原因の1つである。