いよいよ入試の開始だが

早いもので、今週から私立大学入試が始まり、来週には私立高校入試だ。もっともその前には、実地授業を重んじる料理指導コースやパティシエコースなどが付属する高校は入試が終わっている。そして私立入試後、学年末テスト突入だが、どう考えても、学校の日程には余裕がなさすぎる。当塾は問題ない。もう試験範囲は終わって、今は練習あるのみの段階だが、問題は生徒側の意識だ。

数学は「脱ゆとり」路線になってもあまり変化はない。これは思った通りだ。以前にも言ったが、教科書は一見分厚くなったが、学習してもらう内容は教科書に掲載されていなくても、問題集側に入っていたから、特に変化はない。むしろ「教科書に載っていますよ」と示しやすくなったので、意識改革には便利だ。教科書に載っていることを理解・記憶できていないあなたは大丈夫ですか?と無言だが、有形のプレッシャーをかけることができるからだ。

やはり問題は英語

「ゆとり」と「新学力観」全盛の時ならなんとかなったかもしれないが、「倍増」と言ってもいいぐらい、増えてしまった単語や表現などを、紹介して覚えるには授業時間が少なすぎる。せめて固定で週5回の授業が必要で、補習時間ももちろん必要だ。だが実際は、行事や休日があるため、けっこう抜けて平均週3回~3.5回ぐらい。

これに加えて担当教師に力量がなかったり、学年主任などの要職についていると、出張などで抜けるので、授業が全然追いつかなかったりする。で、正式な Lesson はやるけど、途中の復習読解やら、小話などは跳ばす、という荒業を使う。なんために収録されているのかわからない。印刷費の無駄=税金の無駄だと思う。

さらに問題なのが生徒の意識

併せて問題なのは生徒の意識だ。
井の中の蛙大海を知らず、という諺は少しずれているかもしれないが、あまりにゆっくりだと、意識の低い生徒は「そんなに急がなくてもいいのに」と、塾での進度を「早すぎる」と捉えてしまうことだ。

しかし年間のスケジュールどころか、生まれた瞬間から高校入試の日へのカウントダウンは、すでに始まっているし、3年生の12月にある「進路決定指導」で、行先は年内に固定される。となると事実上、「入試の締切は実は3年生の11月下旬」だから、1年生が中学に入学した4月の時点で、残り約31か月=約930日しかない。これでは「千日修業」もできない計算だ。

だからなるべく早く進んで、さらに復習時間を作り出さなければいけないのだが、2年生や1年生はその意識が弱い。またいわゆる「年回り」で、意識の低い人が集まる学年集団だと、とんでもないことになる。大学入試が大きく変化していく「変革の期間」なのだから、もっとしっかりしてほしいと願うばかりだ。

困ったことに

本当は英語をいくら勉強しても、別にアタマは良くならない。国語や数学の方がもっと大切で、その価値は英語学習の数倍もある。実際我々全員が日本語を読み。書き、話しているが、全員が賢いわけではない。年齢なりに賢くなろうと思ったら、今自分が知っている日本語を駆使して、本を読み、作文を書き、他人と討論・議論することで、ようやっと成れるかも、だ。

言葉と言うのはあくまで、考える手段に過ぎず、言葉を知っているだけではダメだ。言うなれば「鉄鉱石」を手には入れたが、それを加工して「包丁」なり、「刀」なり、「鉄骨」なりにしてやっと役に立つようになる。なのに中途半端に英語を勉強して時間を取られるのは、本末転倒ではないだろうか。この疑問がずっと頭から離れない。

また通知簿を見ればわかるが、「国数社理」から離れて「英語」がある。これは「外国語」という学習科目の中で、選択肢の一つに過ぎないという位置づけのままだからだ。英語は身分が低いのかも。

しかし本当に一体どう変化するのだろう。最近ずっと考えている。
特に小学校での学習は今まで通りとはいかないだろうな、と。