今流行の生き方で、できたら羨ましい

「好きな事を仕事にしよう」とか「仕事もプライベートも充実した生活を送ろう」という主張が多い。特に賛成するわけでもないし、しかめっ面して「何を甘いことを言っている」とも思わない。人はそれぞれだからだ。

そういう生活を送れるような運とエネルギーがある人はどんどんやればいい。歴史は勝者が書く。「めだたなかった者」「主流になれなかった者」あるいは「敗者」の歴史は、稗史に残るだけだ。勇ましく、元気の良い主張を聞く時、心臓が悪く若くしてこの世を去った友人や、やはり心臓が弱くて、すぐに横になっていることの多かった祖母を考えてしまう。

大きく分けて、世の中は個人的な「好き」と「嫌い」、社会的な「必要」と「不必要」に分かれて、前者と後者の組み合わせでできていて、4つのものにどう対応していくか、が子供でなくなっていく過程ではないか、と私は考えている。

「好き」で「必要」ならどんどんやればいい。むしろ体を壊さないように気を付けるべきだ。
「好き」なことを仕事にできた人はこれにあたる。

「好き」で「不必要」なものは、つまりは個人の趣味だ。社会に悪影響を与えなければ、「勝手にやれば」のレベルだろう。

「嫌い」で「必要」なものが一番困る。勉強がその最たるものだ。どう折り合いをつけていくか、日頃の態度がそれを決める。夏休みの宿題のように貯めると大変なことになる。

「嫌い」で「不必要」なら、手を出すことはない。人生は短く芸術は永遠だ、君子危うきに近寄らず、と嘯いていればよい。

こういう話をたまに生徒にする。

自分はどうか、というと、完全にこの仕事が好きなわけではなさそうだ。前述したように、時と場合による、が答えだ。「好きな事」を仕事にしているのかもしれないし、時によっては学習指導が「好きな事」でもなく、むしろうっとうしいこともある。でもこの仕事に向いてはいるみたいだ。だから長続きしているのだろう。

他の人たちはどうなんだろうか?
思うに、「好きを仕事に」が理想だけど、たいていは「向いていることを仕事に」で、逆に言えば「向いていないことはやめておいた方が良い」がメンタルを壊されない生き方の基準ではないか。鬱になって仕事ができなくなったのではなく、合わない仕事を無理にしていたから鬱になった、と解釈する方が適切な場合が多い

なお「好きでその仕事に就いたけど、向いていなくて、他人に迷惑をかける」ことが多いのが、教育関係者かもしれない。適性テストはやっぱりちゃんと受けた方がよさそうだ。

少なくともお金が稼げることは絶対に必要=その「好きなこと」に一般の需要があることは必要条件だ

次に「その仕事はお金になるのか」の観点も大切だ。だらだらしていることや、ポーッとしていることが好きな場合は、あまり仕事になりそうもない。最低限、少しでも生産的でかつ、需要があるものでないとだめだ。

プラモを作ることが嵩じて、フィギュアを作ったり、最初は「魔改造」だったが、それをサイトに公開して、作成の依頼が来るようになり、それで相当のお金が儲かるようになったとかもある。最近このような話をよくネット上で見かけるので、そのような人の話を読んでみると、共通していることは、自分が好きな事を仕事にする前は、嫌いは言い過ぎでも、そうでない仕事に就いていたことが大半だった。

ということは、「特に好きなことではなかったかもしれないが、とりあえず働いていた」ことになる。案外これが重要だ。

生きていくためにはまず食わねばならず、そのためには仕事を選ばず(あるいは選べないで)働く時期もある。それで満足して、そのまま続けてしまうことが大半の世で、色々きっかけがあって、「好きな事を仕事」にしたくなり、それまでの職業や人生体験でノウハウを得て、「好きなことを仕事にする」道へ歩み始め、とうとう達成した、という筋書きになる。

となれば「特に好きなことでなくても、収入を得るためにとりあえず働く」ことは結構有効だ。某有名You TuberはYou Tuberとしてやって行ける目途が付くまで、スーパーマーケットの店員をやっていたことは有名な話だし、漫画家としてやって行くまで、会社員をしていた、という話もよくあることだ。

「好きでないことでも、できる」は希少価値かも

その経験は「好きなことを仕事にする」時に大いに役にたつ。なぜなら「好きでないことに対応できる能力」は中々身につかない希少能力だから、自慢できる。また「好きなこと」でも「向き・不向き」も検討に入れる。自分だけが不幸になるだけならまだいいが、他人に迷惑をかけたり不幸にすることはできるだけ避けないといけない。

親・保護者にとっての安全策は、子供には「好きなことで生きていけるようになるためには、さまざまな経験が必要だ」と教え、最初は、「とにかく働きなさい。そして、自分がどういう人間であるのかを見極め、自分が好きなもので、同時に自分に向いているものを仕事にできたらいい」と日頃から言い聞かせておくことだ

よって最初から「自分の好きな事を仕事にしなさい」と言うのは、少し雑で、危険な匂いがする。好きな事で仕事ができても、成功できるかどうかは不明だ。必ず成功できるなら、プロ野球選手やJ リーガーは、全員がレギュラーであろう。いくらプロになれても、1回も試合に出ることができなかった人もいるはずだ。

自分が好きな事をつきつめて、それを仕事にするのなら、仮にうまく行かなくても「私は自分にできることをしただけであって、これが私の運命なのだ」と言い切れる人になることが、まず前提ではないか。親・保護者は以上を子供に確認してから、「自分の好きな事をやりなさい」と言う責任がある。