選挙に行く人が少ない=投票率が低いままだ
この前の社会のテストで「次の参議院選挙で変化することは何ですか」の問題が出たから、皆正解はしたのだが、「18才になって選挙権もらっても選挙にはメンドーだから行かない」と言うので、「それは良くない」という話題になった。
若い人が選挙に行かないから、若い人用の政策が実現しない、とよく言われている。ある程度の政策は実施されているが、不十分なことは否定できないだろう。またいくら若い人が選挙に行っても、政党の力や圧力団体、宗教団体による組織票、ひいては高齢者の数の方がもう、若者の人数より多いから、仮に若い人全員が投票に行っても、太刀打ちできないできない事実の前にはやる気にならないだろう。国民が主権者だ、なんて嘘である。
それでも自分の1票を使わない、というのはいかがなものか
しかしかなり多くの若い人たちが「俺たちの方を向け」という意志表示をしたら、政策はそちらに重点を置かざるを得なくなる、所得逃れをしている高額所得者を逮捕しろとか、彼らからもっとたくさん直接に税金を取れ、その金で社会保障で若者保護をもっと厚くしろ、老人保障にばかりつぎ込むな、と主張すれば、消費税だって引き下げになるかもしれない。
ここで気が付いたのが、中学生ぐらいの子供たちには「選挙に行かない」がよく飲み込めない、実感できない、できていない、ということだった。彼らはまだ学校生活しか経験をしていないので、「投票」というのは「強制的なものだ」と思い込んでいる。そこでこういうシュミレーションを、学校でもやってみたら面白いかもしれない。「選挙に行くのが面倒で行かない」という気分を味わえるうえに、「自分たちに不利益になる」こともわかるはずだ。手立てはこうだ。
シュミレーションをやってみる
「学校予算が縮小されることになりました。そこで、修学旅行・体育祭・文化祭のどれかの予算を削って、どれかに付け足すことになり、それを生徒の投票で決めます。しかし投票は強制しません。棄権も自由です。投票したい人は土曜日(本当は日曜日の方が良い。監督の先生には休日手当を出す)の午前9時から12時までに、学校に来てください。そして予算を増加したい(あるいは減少したい)行事に〇をつけて投票してください」と。
君たちど~する?と尋ねたら、「困ったな~」と答えていた。中学生はまだまじめな人も多いだろうから、投票率はそれなりに良いはずだ。でも面倒だな、という気分はわかると思うし、「私にはそんなことどーでもいい、皆が決めたことに従うだけだもんね」という大人の気持ちもわかるのではないか?
政治に興味を持て、というなら、もう少し身近なところから始めて、ついでに、実際の形や気持ち、利益・不利益も体験できるようにした方がよい。
勢力が完全に拮抗したらどうなるのだろうか
そこでふと変なことに気が付いた。
もし全員が投票に来て、全部の得票が完全に均等になったら、3つの行事がともに存続で、少ない予算を均等に配分しなければいけなくなり、どれもがショボクなってしまう可能性が高い。
実際の政治でも、国民全員が完全に投票に行って、得票が完全に均等したら、政治はどこに重点を置けば良いのだろうか?変化を望んだのに、何も変化しないことになる。となれば、投票に行かない人というのが、実は必要な人たちだ、ということになる。何だか矛盾している。