なぜ起きたのかを説明するのが難しい
「戦後の日本歴史」を伝える時に問題になるのが、1960年の安保闘争、1969年から1970年代にまたがる学園紛争をどう説明するのか、つまり全学連とか日教組とか、共産主義とか社会主義とか、あのメンドーな事、思想、主義、団体のことだ。傍から見れば「なんであんなことやってんだろう」は確実な感想だ。
世の中を変えよう、としていたのだろうが、学生がいくら国会の周りでデモをしようが、東大の安田講堂に立てこもろうが、飛行機をハイジャックしようが(ハイジャックしたのはもう学生ではなく、「学園紛争」が終わっても「革命」を続けるために運動家になっていた人たちだが)、何がどう変わるものではないのは、冷静に考えたら、アタリマエのことだ。
当方は人生の黄昏を迎えつつあるが、仮に自分が政府要人であったとして、なかなかどうなるものではないのは政治の動きを見ていればわかる。世の中を変える、自分が所属する社会を変革するというのは。巨大な才能と幸運を持つ者が、時と場所を得て初めて実現できる部類になる。
ちょっと幅は大きいが、1960年半ばから1970年半ばまで「若者」だった人たちは、その後どうなったか。あの時「若者」だった人たちは、大半が就職をして、多くは家庭を持ち、子供をもうけ、今は70才~80才ぐらいで、年金生活を送っている。
つまり20年~30年ぐらい前は社会の中枢あるいは上部にいて「仕切っていた」時代だった。
すると
「小・中学生や高校生が勉強しなくなった」とか
「子供が子供子供したままで成長しない」とか
「学力や意欲が低下しつつある」とか
変な話題では「少女の援助交際≒素人の売春」いう時代と妙に重なってしまうのは偶然だろうか?
しかしその原因・遠因をつかめなかった。
現代日本で起きた事柄の原因を知らないからわからない
私は20年~30年前は、まだ30才代~40才代で、英語や数学を教えるのに精いっぱいで、ただこのままではいけないなー、「袋小路」に入っている、とは感じていたのは覚えている。
なんで「袋小路」に入っていると感じたのだろうか?
子供たちが問題行動を起こす原因は、「自分たちのいる世界のルーツ、基盤、基礎要素」というものを本当に知らないからかもな、と気が付いたからだ。
それを突破するには、「現代日本の歴史」を担当する授業を設けて、「現代の日本はこういう原因でこうなっている」ということを知れば、少しは落ち着くのではないかと考えた。普通人は、授業やテストがあれば、勉強するだろうし、わかってくれば面白いから、「誰か詳しく教えろ」になる。しかしそれがない。だから触れる機会がない→出口がない→袋小路だ、と感じたのだと思う。
中学生の歴史は1945年に日本が敗戦して終わり、そこからは授業時間がないから、はい公民を始めます、という感じだ。確かに大負けに負けて、恥ずかしいのはわかる。いわゆる「黒歴史」だ。しかしこれでは無責任と言われても仕方がない。
豊臣秀吉は天下を取った後も自分の過去をほとんど語っていない。よっぽど嫌なことがあったのだろう。あの織田信長が「天下一の大気者」と言うぐらいだったのに。
現代の日本は「過去の恥ずかしい歴史」をきちんと振り返ること、現代歴史を独立させて、別の科目として知っていくことから始めれば、子供たちも色々考えるのではないか、と予想している。ただしいわゆる「自虐史観」にならないようにしなければならないので、かなり難しい。
なんだか、ちょっとわかりにくくなってきたので、後日改めて続くことにする。