逃げるのが常態になっている場合は致し方ない。

夏休みが近くなってきたところで、もちろんその前に期末テストをクリアしないといけないのだが、「宿題代行業」という業種が存在することに、ちょっとだけ言及しておく。

宿題代行業を「とんでもない!」と思う人も多いだろう。
ただ、「うちの子は受験用の塾の宿題や、夏期講習をがんばっていて忙しいから、学校の宿題はお金で済ませたい」という利用者の意見は、社会倫理上はともかく、緊急避難的にはある意味筋が通っているから、なんとも言えない。

あるいは、逃げることが癖になっている学生もいる。そういう人は塾に来ても、すぐにやめる。でも反面、先生に叱られたり、やりなおしを命じられるのも嫌だという、甘えや、自分を育てそこなった精神年齢の低い子供のために、親・保護者が宿題代行業に依頼する場合は、やはりある意味「各家庭の『負』の方針」みたいなものだから、なんとも言いようがない。

そういう場合は置いておくことにして、試験の時に問題が自力で解けることを最終目標にする陣営としては、宿題代行業が流行るのは当然の流れかも、あるいは映画のタイトルではないが「夏課題の出ない夏休み」もそろそろ出現するかもな、と思っている。

宿題を出す側の姿勢で決まる

ご存じのように、学校の先生には大半の良心的な人と、少数の適当な人の2種類がある。
問題集を課題にした時、その問題の解法解説を時間を取ってきちんと説明し、課題テストもやり、できなかった人に補習をするという授業システムの中にいる生徒は、たぶん宿題代行業に依頼しない。先生が真面目なら「受けて立つ」しかないからだ。

しかし生徒がそれなりに一生懸命やったものを確認のハンコを押してハイ終わり、で特に解説もしてくれない先生の場合はどうだろうか。例えば、高校英語の宿題は、長文を読まして終わり、解説本を渡しているからそれを読め、と「放任」の場合もある。

中学数学では、苦手にしている生徒だと3年時点での宿題は、ほとんど自力ではできない。関数はいうまでもなく、方程式の解き方も危うかったりするし、すごいのになると-3-5=-2と中学3年生なのに、平気で書いたりする人もいる。こういう人は、自力で同じ宿題を解くのはまず無理だろう。

「形式的」に課題を出している先生には、こちらも形式でいいや、となるのは自然の成り行きで、手厚くサポートを受けれる塾側のウエートを増やすだろうし、そこに、宿題代行業の成立する余地がある。ただし前に述べたように、単なるナマケモノは除外する。

もし以上の状況で宿題代行業を利用したのなら、学校の先生は自分を低く見られていることに気が付かないといけないのだが、そんな先生ほど鈍感な人が多いから気が付かないだろうし、生徒も親も、同僚の先生も情報を回したりはしない。

それに「教師は給料と年金をもらうための手段」と割り切って、破廉恥なことでもしなければ、首にはならないから、趣味に生きるぜという先生は、変な話、宿題代行業で課題を乗り切られても、気にもしない場合もあるかもしれない。こういう先生が増えているのなら、宿題代行業はますます繁盛する。

しかし、活力を失ったものは、滅びるから、そのうち「夏休みの課題」も消滅し、同時に宿題代行業も消滅するだろう。まさに「蝉の鳴かない夏」で、何か小説の題みたいだ。

是非是非、宿題を出したのなら、解説まで責任を持って、生徒の面倒を見てもらいたいと思う。特に当塾は学校の宿題を手伝っている時間もたくさん取っているのだから。