ある科目が苦手や不得意になってしまうと…

時々偉い人が「女が賢くなると扱いにくい」とかいう、いわゆる男尊女卑発言をして問題になることがある。かなり前だが、どこかの知事さんが、「女子にサイン・コサインを教えてなんになる」と発言して抗議を受けて撤回した、と報じられたこともあった。

確かにこの発言はよろしくない。女子にも数学に興味を持っている人は多いし、女性理科系研究者も多い。対して男子にも数学がどうもダメな人がいる。この知事も「隠れ男尊女卑派」だったということだ。時々「化けの皮」がはがれるから面白い。

昔「知恵熱は男の子だけ」という考えがあったが、男の子だけが教育を受けれたから、というのが理由で、女児でも知恵熱は出るだろう。

私自身は人間と言う存在自体が抽象的なもので、男と女が合わさって「人間的な行動を取る」と何の根拠もなく、思っている。いうなれば両性とも「不完全な生物」で、意見交換なり、交合なりして、「人間的状態」を生み出すのだろう、と。

だからどちらがエライとかアホだとか考えても無駄で、「どちらが~」と考えた瞬間に「罠」に陥るのだろう。
分離してケンカさせるのが、上に立つ者が下を支配する「基本」だからだ。

話は元に戻る。
「女子は」でなく「中学で数学ができなかった人は」に変えるなら、条件付きで賛成できると言いたいのだ。厳しい言い方だが、偏差値55~60以上のレベルの県立・市立の公立高校で、ある程度数学で良い点を取りたいなら、中学数学で80点以上はないと苦しい。欲を言えば90点以上だ。

それ以下、特に60点とか70点ぐらいだと、高校に入って数学が数Ⅰと数Aに分かれた場合、おそらく数学は苦痛になる。そうなると英語や他の科目も勉強時間が取れなくなり、バランスが崩れて、高得点の可能性がある科目も、平凡な点になってしまう。そういう人はたくさん見てきた。

もっと中学で勉強していれば良かったのになあ、と後悔する。ここに「平均点重視主義」の弱点がある。だから「中学で数学が苦手だった」人で、もうあまり数学を勉強したくない人は、高校で数学を免除するなり、中学の復習レベルの「数学基礎」を創設するとか、数Ⅰか数Aのどちらかだけにするとかして、数学からの圧迫を減らす。

同じことが英語にも言えて、無理に英語を、文法、読解、作文と3つも勉強させないで、英会話に特化するとかしたら、どうだろうか。気楽にやれば案外伸びることもあるので、その方が人材を生かせるのではないか。

どんな場合でも、本人のやる気が吸収の前提条件で、やる気のない時はあまりうまく行かないし、そもそも「やる気」は「できるもの」でないと起きるわけがない。特に若い時は好き嫌い、つまり感情で決定しがちだから、嫌がっている人、半分以上あきらめている人に、無理にさせるのは酷だと思うのだ。

時期を待つために「猶予期間」を与える

しかし絶対に必要だ、になったら、なりふり構わず頑張るのが、現金で、いい加減な生物である人間だ。機会と期間が一致した時、集中的にやれば、案外できたりするから、学習指導者は、その時を待つ。国全体としても、利益になるから「猶予期間」を与えることは決して損ではない。 もっとも私ぐらいがいくら喚いても、文部科学省が耳を傾けてくれるわけでもないから、単なるグチだ。

では中学数学で70点以下を取らないためには、どうしたらいいか。答は「小学校の時から、毎日、算数をやること」だ。計算問題と面積・体積問題、表から変化を見抜く問題は、できる限りたくさん解かないといけない。最近では英語も必修化したから(形だけだが)、英語も毎日やることになる。

そして、その児童が「算数的な能力がある」か「ないか」、あるいは「能力が足りているのか、足りていないのか」の見極めを専門家、特に熟練した塾の講師に見てもらうことだ。ないところ、足りていないところは、何回も解かして覚えるまで、学習させる、これしかない。

学校の先生はあまりあてにならないこともある。「大丈夫ですよ」と言っていたのに、分数の計算がめちゃくちゃだったり、わり算が苦手なままの人も、よくいた。学校の先生は「戦闘的」なことには、向いていないのである。

中学の勉強の世界は「実力主義」で、点数が取れなければ、たとえ何時間勉強していても「勉強していなかった」のと同じことになる。大変残酷で無情な世界だ、という気構えを作らなければならない。そういう意味では恋愛に似ているが、嫌われても、嫌われても、何回でも挑戦できるのが、勉強の世界で、「勉強ではストーカーになってもいいよ」と言ってやればよい。

とにかく、嫌がっていても、中3になれば、直面することだ。早い方がいい。高校であがいても、たいていは時すでに遅く、もう間に合わないだろう。

だから知事さんには、もう少し洞察していただいて、発言してほしかった。もしかすると、入試制度を変える発端になったかもしれないのに、「支配者」の意図するままになってしまい、歴史的ではあるが、発展性のない不毛な争いに落ちてしまった。

まあ、知事になるぐらいだから「支配者=貴族」の洗脳がきついのは当然かもしれないし、自分も「支配者」の一員のつもりなのだろう。この世には、庶民にばれると、まずいことが多いから。