今なぜ「非認知能力」なのか、少し考えてみたい。

「力」があっても解決にはならず、むしろ「禍」を招くことになる

1970年代はベトナム戦争敗北もあってアメリカ自体が「シュンタロウ君」になり、日本では1960年代からベトナム戦争反対を掲げ、大学紛争などが頻繁に起きていた。1980年代はバブル最盛期と崩壊がいっしょにやってきて、1990年代の日本は校内暴力で中学校が特に荒れていた。教室内で注意を受けただけで、生徒が持っていたバタフライナイフで教師を刺殺した「黒磯女性教師刺殺事件」が起きたのは1998年1月で、「新しい荒れ」「キレる子供」の出現とその対処方法を求めていた。

1980年代~1990年代までの学生は、1956年に映画化された石原慎太郎の著作による「太陽の季節」をベースとして、「礼儀を知らないこと」「乱暴であること」がカッコイイとしていたのも事実で、その風潮は止まらなかった。これの底辺には、無理な日米戦争を始めて、日本を亡国の淵寸前にまで追い込んだ戦前の教育への反発があったことも事実だ。

そして「新学力観」でさらに混乱

1970年代は若者の殺人・傷害などの事件が相次ぎ、その原因は勉強の「詰め込み主義」ではないか、と言われて徐々に学習内容を減らし、新左翼主義に走らないように、内申点制度を導入。さらに10年後には「新学力観」で自主性を重要視する方針が打ち出されたのが1989年。同時に内申点制度の強化である。しかしそんな簡単に抽象的な「自主性」など根付くはずもない。そんな時にこの「非認知能力」の研究発表と公認が始まるのが興味深い。

個人的な経験では1990年代から「基礎的な計算力」「基礎的な暗記」をしない・できない、生活態度も良くない中学生や学童が増えた記憶がある。そして10年ほど、新学力観もあって、「真の学力」議論が、「議論倒れ」していた観がある。

日本が小田原評定をやっているうちに、実証主義のアメリカでは

映画「スターウォーズ episode 3」が1977年にリリース、そのリアルさに日本の特撮ファンは圧倒され、レーガン政権が「戦略防衛構想=スターウォーズ計画」を打ちだしたのは1983年、予算が追い付かず1991年にはソ連崩壊、それから約10年後の1990年代後半には、クリントン政権による教育立て直しと「ハイウェー構想」でインターネットの開放による株式市場とネットの融合が図られ=資金の調達を銀行を通さない直接調達への移行、同時にスペースシャトルの建設と、宇宙ステーション建設が計画・実行、裏ではスパコンの構築、1995年には民間向けニューインターフェイスの Windows 95 も発売、新しい技術と知の時代の幕開けだったが、日本はその逆だった。

スパコンと言うと現在、アメリカが約200台近く、日本は40台近くを持っているが、なんと中国は100台以上持っている。今後、科学技術の進展はスパコン保有数で決まると言っても良い。この事実一つ取っても、前にも言ったが、中国とは「ケンカしつつ、言うべきことは言い、辛抱強く付き合っていく」ことを目指すのが、一番賢い外交方針であることは、この事実からも明らかだ。

確かにあの国は現在のところ民度が低いという評判だが、昔の日本だって似たようなものだった。たまたま著作権意識の低い時代だったから、あまり問題視されることなく、欧米の製品をコピーして自国のものを開発して、強引な売り込みで「エコノミック・アニマル」と呼ばれていた時代もあった。中国とは、いたずらに緊張を煽ったり、嫌中観を広めることは意味がないし、すでに日本は「遅れて」いることを、しっかり認識しないといけない。

さて、学力低下を、見たり聞いたり感じていたのは、私だけではなかったようで、しかし勉強、勉強と煽っても意味はなく、「灯台下暗し」「青い鳥は自分の家にいた」あるいは「看脚下」とでも言うような、今までの教育者が無視していたような理論が「非認知能力の見直し」だったわけだ。

こちらとしても、ようやっと頼れる「権威」を見つけて、「非認知能力」を喧伝したが、2000年から20年過ぎて、ここ最近やっと多くの人が知るようになったのは嬉しいことだ。

しかし弊害はまだ止まらない

でもまだ多くの親や保護者が知らない状態のようだから、ぜひご家庭でも「非認知能力」の向上に努めてもらいたい。それが塾としては頼りになる「援軍」である。でないとこんな事態になるかも。

*追記
10月5日に、有名サイト文春オンラインには、
『「こんなに頑張ってるのに給料が上がらないのはおかしい。パワハラだ!」 蔓延する“相対評価”、“内申書重視”はなぜ日本をダメにしたのか』という記事が掲載されていた。私自身は、この記事を書かれた著者のことはあまり深くは存じ上げないので、なんとも言いようがないのだが、これから多発しそうな、あるいはもうすでにあちこちで起きていることだろうな、とは思う。

特に記事内の「もういいじゃないですか。うちの大学の学生、もともとそんな成績の良い子が多いわけじゃない。適当に良い成績をつけて進学、卒業させればよいのですよ。そのほうが良い企業に就職できる可能性も高まります。だいいち、成績悪くつけて、留年なんかになったら、また親たちまでが大挙してやってきて大騒ぎになる。先生、ここのところはひとつ、お気持ちはわかりますが、よろしくです」とある大学側の「配慮」にはさもありなん、という感想しかない。皆さんはどう思われるだろうか?

もっとも「ウチの子だけできるようになればいい」という鬼子母神的愛情に溢れた方も私は大好きだ。周りが学力低下で苦しんでいるなら、ちょっと努力するだけで、上に上がれるから楽だし、狙い目でもある。