中学2年生の英語も同じ

全部で7つのLesson に分かれている。そして1年範囲の新教科書の最後の Lessonに「be動詞の過去形」と「過去進行形」と「willとbe going to の未来形」が組み込まれているため、例年なら2年生の1学期に習うはずのものが、新教科書では「既習」ということになっている。だから多くの学校で慌てて、4月最初の2週間ぐらいで、今あげた3分野の授業を組んで、進めていた。ポイントはここで「進めた」と「わかった」と「使える」は全く次元の違う話、ということだ。

これまた手前みそだが、当塾では3月中に3分野すべて説明して、問題演習もしたし、元々今まできちんとやってきてから、普通にできている。しかし今までの勉強不足が祟って、春の間、復習ばかりしていた、という人にとっては大変なことだ。去年度までは3か月かけてやっていたことを、突貫工事の2週間で済ませたからだ。恐らく、1か月ぐらいたつと襤褸が出てくる。

しかも新教科書は when やら if やら that節やらの接続詞で Lesson 1 が始まるから、これまた、いきなりの「オールコートゾーンプレス」になる。1つの文を取り扱うことでもオタオタしている人が、2つの文をうまく扱えると期待する方が変だ。Lesson 5 には逆接の although も登場している。そしてすぐさま、Lesson 2 では to不定詞の登場、Lesson 3 には動名詞も出る。昔、「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という交通安全のキャッチフレーズが流布したが、これにまさに当てはまる。ちなみにこのフレーズは、ある地方警察官の発案文らしい。

自分は英語ができない、とギブアップする時期は中学2年の中ごろ、運のいい人で夏休み前、悪い人で2学期の中間テスト後だから、このあたりは「いつも通り」になる。運が悪い理由は、中2の夏休みを無駄に使ったからだ。そういう意味では、自分の英語能力に見切りをつけるなら、早い方が良いだろう。

前回の疑問「授業は成立するか」

さて前回「英語の授業が成立しないのでは?」と疑問を残して終わった。
しかし「授業自体を成立させるだけ」なら十分可能だ。つまり「授業崩壊を防ぐことだけが最大の目的」とし、授業だけは楽しく受けてもらえるように設定する。生徒も楽しく過ごせるなら、授業崩壊を招く問題行動は取らないだろう。どのような科目でも、「授業を進める」ことは別に難しいことではない。指導要綱という先生用の虎の巻もあるし、関連資料も揃っているから、それらに則ってやっていけば授業は「進む」。

しかし一旦テストとなれば、基礎力のない人や実戦力がない人は、点数が取れない。でもこれは「自己責任論」で済ませれば良い。現に良い点数を取っている人が他にいるなら「あなたの努力が足りないのではないか」と言われれば、それこそ一言もない。

今まででも、「学校の授業は成立している=教えるべきことは教えている」と「個人的に点数が取れない」は同時に起きていた。しかし、このような「目標が高すぎる教科書」を使って授業をして、生徒のできも、ピンからキリまでいる普通の公立中学で、同時に「定着」も図るのは、かなり難しい。

話は戻るが、もし学校の英語の先生が、自己保身に長けた=上層部からの評価点が落ちるから、授業崩壊だけは避けたいと考える人物なら、今言ったような「授業だけ」がうまくいく形を構築することを目指すだろう。組織に生きる人間なら普通の発案で、責めるべきものではない。そして後、生徒個人の点数が悪ければ、内心では「塾でもどこでもいけば」と考えるかもしれないし、私でもそうするかもしれない。流れが大きすぎて、個人では変えようがないからだ。そして風向きが変わるまで数年は「寝たふり、死んだふり」で、生徒にはある程度の手当をしながら、疲れてきたら休職願い、治ってきたら復帰願いを交互に出すかもしれない。「待てば海路の日和あり」と言うではないか。

しかし塾は逃げるわけにはいかないし、塾だからこそ少人数で、やる気だけは少なくとも持ち合わせている生徒だから、挽回が実現できる。また当塾には完成した VITALs もあるから、うまくやれる自信はある。教育課程が変わって「ピンチ」になったことなど、今までいくらでもあったから、トラブル慣れもしているし、そもそも、塾の標語は Trouble is my business.だ。