ワードプロセッサーの登場

そして画期的な道具が個人向けに販売された。ワードプロセッサー=ワープロだ。

我が塾 初代のワープロはシャープさんではなくキャノンさんだった。1983年発売の「キャノワード」と呼ばれていた。バブルが始まる直前の当時で20万円ぐらいだったが、独身の上に、金のかかる趣味も持っていなかった私は、とにかく買ってしまえ、のノリで買ったのだが、なんと文書を保存するのにテープレコーダーの音声信号を利用するものだった。しかもモニター部分には、一行しか文字列が出ない。どんな配置になるかは、プリントアウトしないとわからないという代物だった。

それから2、3年の間に、ワープロはドンドン安くなり、フロッピーディスク搭載になって記録保存も簡単になり、値段も10万円代になった。少しフライングだったかな、と思ったのも確かだ。技術の進歩はすさまじい。でも楽しかった。自分の書いたものが「活字」になるのだ。

5年後の1988年に、前年発売開始で「AI搭載!」を打ち上げたシャープの「書院」を購入して、キャノワードで作った文をもう一度打ち込みながら、新しい機種に慣れていくことにした。確かに変換の癖を覚えてくれるので、だいぶん楽になった、と感じた。

キャノワードで作ったものはきれいにプリントアウトして、当時文房具屋によくおいてあったコピー機でコピーを取って、授業に使っていたが、1年ほどで書院に全部移し替えができたので、キャノワードはお蔵入りなった。書院は今でも本体を記念に保存しているが、お蔵入りから10年ぐらいたった時に、キャノワードは、パソコンを組み立てたり、いじるのが好きな塾生に「分解してもいいよ」と進呈した。彼は嬉しそうに後でメモリーがどうとか、システムがどうとか報告に来たから、キャノワードは「骨」まで役にたったみたいだ。

1990年代にパソコンの時代が来た。

1980年代当時に「私にとってのキセキの世代」の塾生だった人たちが成人して、社会人になり、会社でパソコンを仕事で使う、あるいはコンピューターシステム構築そのものを仕事にしている人もいた。当時には、OSも GUIを主体にしたOS Windows 3.1 、そして Windows 95 の発売も予定が発表された。

彼らが「ワープロで作ったデータ―を、コンバートしてくれるソフトも出てきましたよ」と教えてくれたから「よ~し じゃあ私もパソコンを買おうかな」と考えていると、1995年に起きた阪神大震災で人がたくさん死ぬのを見聞きしてしまった。Windows 95 は発売されたが、3.1対応のコンバートソフトしかまだ出ていなかったことと、パソコン本体一式が当時はすごく高くて二の脚を踏んでいた。

が、間接的でも震災を体験した身としては「いつ死ぬかわからないのが人生だ」と思い、おっきなモニターやらなんやらで、総額ウン十万を払い、生まれて初めてパソコンに向かい、ハードディスクを分割して、3.1とWindows 95 の2つの OS をインストールする方法で、コンバートに取り組んだ。

これは「キセキ世代」の卒業生であるG君が、主体になってやってくれて、本当に助かった。彼は今、警察庁でコンピューター犯罪に取り組んでいる。体に気をつけて頑張って欲しい。書院で作ったフロッピーはもう20枚以上になっていたから、全体をコンバートして、Word で一応使える形にするのに1年かかった。Wordに関しても初心者だ。パソコン教室にも通わなかったから、すべて独学だった。

まだあまり重要な役職に就いていなくて、当時余裕のあった「キセキの世代」の社会人になった卒業生たちが、入れ替わりに週末ごとにやってきて、色々アドバイスをくれたのはすごく嬉しかったし、彼らも私に「アドバイス」できるのが嬉しかったようだ。まるで15年前に戻ったみたいだった。

どんどん技術は進化するが人間は…

後で聞いたら、私は初心者としては、相当の高レベルのことに取り組んでいたらしい。彼らなりに気を使ってくれていたのだろう。有難かった。今は責任ある地位につき、忙しくなっているので、もう何年も会っていないが、体にだけは注意してほしい。

次に記録媒体の主流が、フロッピィ―から書き込みのできるCDになった。これはとても嬉しかった。パソコンになってしまうと、どうしてもイラストを利用したくなる。ワープロではそれができなかったから、オリジナルに絵を糊で実際に貼りつけてコピー機で作成、という一部がアナログ作業だったのが、パソコンだと簡単にイラストを取り込める。

でもそれをやると容量が極端に増えて、1.2MGのフロッピィーではすぐに無理になってしまう。その点、700MGのCDならもう十分だ。しかし世はすぐにメガを越えて、ギガ、今はテラレベルだ。なんとなく原爆から水爆、果てはエアゾール爆弾やクラスター爆弾へと「進化」するのがわかる気がした。

しかし生徒ができない部分は、何年経っても変化がなくて、「人間って進化しないな~」と確信しつつあったのは、残念だった。