皮肉なことに、E君を連れてきたのはD君だった

しかし最近、E君はD君を避けている雰囲気があった。まさにE君はD君を「自分にとって害のある存在」と認めつつあったのだろう。D君の方でも、次第に成績が上がり自分に追いついてきたE君を、うっとうしく思っていた風もあった。自分もがんばらなければ、と思うべきところを、うっとうしく思うところが、子供なのだ。中学時代に「大人になっていく」あるいは「子供のまま成長しない」という姿を見るのは、興味深く、尽きるところはない。

E君のご両親は、ともに理解のある方で「うちの子Eは時間はかかるが、やることはちゃんとやるタイプですから」と答えてくれていたし、またその私立高校は、今後は進学に力を入れる、新学年生からコース分けを細かくし、刺激を与えるためにクラス間の入れ替えも頻繁に行うと宣言していたから「一生懸命勉強すれば、高校で自然に道が開ける。変に面倒見の悪い公立に行くよりいい」とも励ましておいた。

似たタイプを探し出し、うまく行った場合とそうでない場合に分けると「予感」が生まれる

前ブログで、「不測の事態、想定外の出来事」はいつでもどこでも起きる。たいていはヒューマン・ファクターだ」と述べた。そして私には霊感はない。どこに出してもおかしくない普通の鈍感人間だ。しかし「こうやればうまく行く」「ああやれば失敗する」という「人の行動パターン」が当時まだ講師歴10年足らずだったが、それなりに積んできた経験からわかってきた。そして目の前にいる人とよく似たタイプの人を思い出し、うまく行った場合とだめだった場合の行動に当てはめた時、「良い予感」と「悪い予感」が生まれるぐらいになっていた。

E君は高校受験は当然うまく行き、3年後にちゃんと彼自身も近畿大学に合格し、今は一家の主である。その私立高校も現在、関関同立に多く合格者を出す立派な進学校になり、スポーツ部門では中々の強豪校になっている。E君たちはその先鞭をつけたことになる。

不運は単独ではやって来ない

さて途中退塾した元生徒D君はどうなったかというと、私の嫌な「予感」通りに、その併願対象の私立高校に落ち、ショックが大きかったのか、あるいはさらに何かが足りなかったのか、公立高校にも落ちた。実はそのような人が続出した年でもあった。ビッグウェーブに飲み込まれてしまったとしか言いようがない。

D君は、当時3月末に実施されていた私立の2次募集にやっと通ったが、家から1時間半もかかるところで、交通費だけでもバカにならないし、一番開放的で、楽しく過ごせたはずの中学卒業の2月~3月全部を、不安に包まれて、受験に全部使ってしまったことになる。たいそう心細かったと思う。

その後D君がどうなったかは、私は知らない。運が悪かったとしか言いようがないが、後少しの運を引き寄せる努力を怠ったことは事実で、気の毒ではあるが、人生が与える試練だろう。これを乗り切って今はよくやっているはずだ、と信じたい。

学校の先生のミスの要素もある

実は「嫌な予感」を構成するものの中に、前の年まで5年間ほど志望校決定に携わっていた経験豊富な先生が、その年の春に異動になってしまっていたこともあった。そしてそれを引き継いだ先生の事は、私は全く知らない人だった。根回しが足りなかったか、担当した先生が未熟だったことも影響したかもしれない。

以上すべて、同級生だったE君が教えてくれた。E君なりに心配していたし、ボーとしているようで、見る所はちゃんと見ていたのだ。

こういう「負の連鎖」「不運に不運が重なる」ことが一番怖い。対策は、それらに打ち勝つるぐらいの実力を付けておくしかない。だから冒頭で述べた「あまりレベルの高くない私立ぎりぎりの人がちゃんと合格して二次募集になることを避ける」は私の負の教訓だ。最近では二次募集そのものが減っているので、特に留意している。

日頃から「一回で決める」ことを実践する

10cm のパットでも、ゴール下1m 以内のシュートでも、絶対に外してはならないのと同じで、日頃の計算練習で初回で間違っている人が、本番でピタリと合うなんて、期待する方がおかしい。「絶対に1回で合わせるぞ」という意気込みを常に持ち、達成することから始めよう。

で、去年やその前の年で危なかった塾生たちもうまく合格したが、塾には無関係で、私の知らない人だが、やはり同級生で併願の人が落ちた、と報告してくれた。やれやれ、いつの時代でも「詰めが甘いD君」はいるんだな~、と確認するのが、私のこの季節の「教訓」であり「風物詩」みたいなものだ。来たる年もこうならないように、締めていきたい。