中1範囲こそすべての源泉だから慎重に
なぜ中1範囲の細かいことに、これだけいちゃもんをつけて、口を挟むのかと言うと、学習している内容は、今後の英語を支える基礎になる、ものすごく大切な所なのに、一番生徒たちが迷いやすい迷路であり、下手をすると遭難する「樹海」みたいな「スーパー・ハザード・エリア」だからだ。そして歩みを進める人たちは、知的には経験不足で、精神的には何をやるにしても幼く頼りない年令でもあることも考慮すると…結果は推して知るべし、となる。
小学校用の教科書内容をきちんと理解して、覚えることができれば、中1でもあまり恐れることはないのだが、小学校の英語授業に期待できないことは前々回の記事で指摘しておいた。ちなみに小学校の英語教科書で習得するべき英単語は5年生と6年生の合計で500個以上ある。もしあなたのご子弟が中学校の英語で失敗したくないのなら、500個全部は無理でも、80%~70%、つまり350個~400個はしっかり覚えさせるべきだ。
もう一つ不安な点は、この年ごろの人たちは、日本語能力もまだまだなことだ。特に国語の意識的な学習を深めていない人たちは、なおさらだ。極端な話だが、主語・述語・目的語などの「日本語での意味」すら正確には把握できていない場合も多々見られた。つまり「~は」「~が」「~に」「~を」が付いた語句は何を示すのか?の質問にも「に」と「を」と「は」の違いに、あまり重きを置いていないので、正確に答えることができないこともある。
学校の先生は案外こういうことがわかっていないのである。特に「はずれ」の先生に小学校3、4年~6年で当たっている生徒たちに多い。いわゆる「小学校では伸び伸びと過ごす」ことに重点を置いている先生のことだ。まあ確かにあまり細かいことを追及してくるタイプの先生は嫌われるから、学級経営という観点からは仕方のない話かもしれない。しかしそれこそ中1ギャップを生む源泉と言ってもよい。
日本語から英語にする時の注意点があやふやなままだと傷が深くなる
例えば日本語で、①「私は今年の秋に京都を楽しむ」と、②「私は京都でお茶を楽しむ」の2文を英語に変える時に、どこに注意したらいいのかわかっていますか?と質問しても、何が問題になっているかわかっていない。同じ「京都」でも「京都を」と「京都で」では前者が目的語、後者が場所を示す副詞的な修飾語だ、ときちんと分類して、英語にする時には①は私⇒楽しむ⇒京都⇒今年の秋、と並べ、②は私⇒楽しむ⇒お茶⇒京都で、に並べる。さらにその際、「京都で」は「で」に当たる in が先、Kyoto が後になることまで注意を払う、ところまでやり遂げなければ、整序問題でも、あるいはヒントなしの英作文でも点数は取れないのだが、平気で日本語の順番に並べている。
御存じであると思うが、語学は「日本語文を別の外国文に変える、あるいはその逆ができるようになる」のが目標だ。だから日本語だけでヒントなしの英作文は、当然にして配点が高い。本当なら英語のテストなら、全部、ヒントなしの英作文オンリーにしてもいいぐらいだ。しかしそれでは点数が取れない人が、クラスの半数以上になるため、空所補充問題があったり、整序問題があったりする「出題形式」による色々な「配慮」の上で、点数を取らせなければならない「苦渋の決断(?)」が必要になる。
では、そもそも何故に、全員で英語を勉強なければならないのか? どこからそういう話になってしまったのか? をず~と考えている。仮に来週・来月・来年から英語が必修科目でなくなってしまって、英語クラスがなくなったとしても、私は数学と国語を教えればいいから(あるいは理科や社会でもいい)、別にあまり困りはしないし、英検を受験するという奇特な生徒にも対応できる、お気楽なところがあるから、こんな変なことを考えることができるのかもしれないが。