周りをよく見ている人と見ていない人では、英語1つとっても出来具合が違ってくる。
今の日本には英語があふれている。カタカナの場合もあれば、そのまま英語で書いてあることもある。しかしあなたのご子弟はそれを「ちゃんと」見ているだろうか?
何年か前に、マデインの意味がわかった、という中学3年生の生徒がいた。マデインって何?ときくと、電気機械の後ろを見せて made in Japan のことです、と言う。1年の時は made が make の変化とは知らなかったからローマ字読みで「マデイン」って何だろうと思い、2年の時は「過去形かな、でも何で過去形なのか、意味がわからないなあ」と思っていたという。
3年生半ばになって、先週に分詞の形容詞的用法を勉強したから、初めて意味がわかった、「『日本で作られた、日本製の』の意味だったんですね~」と言うのを見て、私は「この子、周りをよく見ているし、継続力があるな」と逆に感心し、成績も2年で順調に伸びている理由がわかった気がした。
全然気が付かない人も多いからだ。英語みたいだから、最初からパス!という人までいる。そういう人はスイッチに書いてある on / off のことすら気が付いていない。だから熟語表現で「テレビで」を英語で言う時のヒントで「スイッチを点けた時、英語でどう言う?」を生かせない人だっている。
いやそれはかなりアホだろう、と言うなかれ、いつの時代にも存在するのだが、ここ10年ほど、できない人の中で急増しているのだ。なぜか?と考えたことがある。
自分の好みを優先することが第1という風潮と、「自ら学べ」の方針は、基本的な常識を忘れている学童を生産する傾向がある。ようだ、とは言わない。「個性的と非常識を混同している」傾向のことだ。
意識して「好きじゃない」「関心がない」ものにも目を向けさせる
これだけ情報過多の時代になればなるほど、人は意識しないと、自分の好み、都合の良い事、耳触りのいいことしか触れたくなくなる。多すぎて、何に触れたらいいかわからなくて、最後にはあきらめてしまうだろう。
大人でもそうなのだから、子供はもっとその傾向が強くなる。ましてや今は情報のアクセスはどの年齢でも、簡単にできるようになっている。AIのおかげで、好きなものはどんどんコンピューターがお勧めしてくるため、好きな事はどんどん蓄積するが、好きでないことや興味のないことには、一切触らないのが「子供」だ。
だからこそ保護する子弟が基本的な世の中の知識を備えているか、どうか? を親・保護者は常にチェックする必要がある。有名私立小学校、中学受験を目指す家庭は、その点意識が高いので、子供と電車に乗っていても「あれは何か」「お前はどう思うのか」を、目の前に過ぎていく光景を題材にしてやり取りをする。これは進学塾などが強く推奨している。
そこまで敏感でなくても良いが、中学に入るということは「実力」の世界に放り込まれること、という認識を持って、親・保護者にとっては当然と思っている英語の知識を確認する、ぐらいは絶対にやらなければならない。
さきほど on / off を例に挙げたが、いくらでもある。
「ウォー」って何?
「スター」って何?
「サッカーって単語書ける?」
「ゲットするってどういう意味?」
「ワースト記録の意味は?」
「パラレル・ワールドって何?」
「アシストは何をすること?」
「モチベーションを維持するってどういうこと?」
「ラスティング・ファンデーションのラスティングの意味は?」
「テイク アウトって何をするの?」
「セコハンって知っている? セコいな~って表現はどこから来たの?」
「レンタカーの意味は? どこから来たの」
他にも色々ある。さらにパソコン用語は宗教用語の巣窟でもある。プロトコル、アーカイブなどなど。私にもわからないぐらいあるので、勉強しなくては。
自分で身の周りのものを眺めて、「これはどういう意味か?」を確認することで、子供にも教えるのが親・保護者の責務だ。そうすれば知っているかな? という意識が生まれるだろう。
「自ら学ぶ」が新学力観の基軸だが、生徒はあまり当てにならないから、本当は家庭に求めているのではないだろうか?親・保護者はご子弟が小学校高学年~中学生の時は、特に、絶対に目を離してはいけない。