注意を受ける側とする側の「ずれ」があると少し問題

前のブログで「大声で注意されないと、わからない人は要注意だ」と述べた。

ただし今から述べることに、当てはまらない人もいる。私の経験から「当てはまってしまう人は~」と申し上げるだけで、特に数値的根拠はないので読み流してくれて十分結構だし、仮にもし当てはまるようなご子弟をお持ちの親・保護者は注意された方が良いというだけだ。

そもそも数値的根拠は単なる確率。10%の降雨確率なのに、大雨が降っても仕方が無いように、低い確率値に当てはまっても「間違い」ではない。

これも前にも述べたが、私は大きな声で注意したりはしないし、教室が狭いのでその必要もない。普通に話しかけて十分届く距離に生徒はいるからだ。また熱湯があるとかとげがあるとかもないので、地震でもない限り大きな声で注意する原因も部屋には見当たらない。

「絶対に」とか「必ず」という強調語句はたまにしか付けない。

大切だから伝達しているのだし、1回1時間30分の授業時間しかないのでは、大切なことしか伝達できない。これを覚えて身に付ければ問題が解ける、と言う急所しか説明できないし、それ以外はしない。もっともたまに無駄話はするけど。

それにいつも「絶対に」とか「必ず」と言っていると「またか」と思われてしまうのでは?と考え、30年ぐらい前に本当に絶対でない時以外は使わないことにした。

私が勉強に関して伝えることは、ほとんど全てが「絶対に」大切なことばかりで、できる限りその場で全部覚えるか、無理ならノートにメモるかして、家に持ち帰り、繰り返し練習して、自分のものにしなければいけない。伸びる生徒はそのへんはわきまえていて、もし間違えたら「あ、しまった」とやり直しにすぐかかり、次は間違えないようにしよう、とする。

また私は自分が講師としては口やかましいことを自覚し、そうでなくてはならない、と覚悟しているので、逆に致命的でない、軽微なミスの指摘まではしない。生徒が委縮してしまうからだ。それぐらいのバランス感覚はわきまえているつもり。

しかし重要なことなのに、いくら注意されても、そこをミスし続ける人がなぜかたまにいる。そしてここが偏見なのかどうかわからないが、ダンス教室やら、スポーツチームに所属していることが多い。
これに気が付いたのは15、6年前からだ。

ちょうど人気グループ EXCILE が登場して、栄光への階段を上り始めたのと重なるのは必然だ。なにしろ彼らはとんでもなくカッコいいから、誰でもああいう風に踊れたらなぁとなるし、あるいは子供の習い事には体も動かすので最適だ、と考える親・保護者も多いだろう

あれから子供向けのダンス教室も増えて、盛況になった。最近は世界に進出する子供たちも出現して、そんな彼らをテレビで見ると、楽しいし、文化的には大変良いことだ。

ダンス教室で気が付いたこと

そこで自分が抱いた疑問とその解答が合っているのかの「答合わせ」で、数回そのようなところにお邪魔=見学したこともある。ただの野次馬根性もあった。

練習する部屋が暑くなるのは仕方がない。それ以上に、まず驚いたのは、けっこうな大音響であること。

次に間違うと、当然大声で指導が飛ぶことだった。部屋も広いし、音を出したままだと、特にそうだ。もちろん止めることもある。間違った人はハイハイとはきはき答えていた。指導する方も熱心かつ丁寧で、好感が持てた。大勢の生徒を指導することは不可能なので、学校の先生も声が大きい人が多いだろう。

でもここに落とし穴があるな、と思った。

注意される時に大声を出して指摘されることに慣れてしまうと、普通の声で注意されても、自分が大きなミスをしていることに気が付かなくなるかも、と。

あともう一つは大音響の中で鼓膜は大丈夫なのだろうか、だ。これは医学的なことだからちょっと置いておく。

誰でもミスをした時は、それに対する指導・指摘が欲しいものだ。私でもそうだった。

だがこれが学習指導となると注意・指摘することがやたらと多い。アプローチの仕方から始まり、それについての例の説明もあり、仮の答え作成から本答案までの道のりは長い。その上、数学では計算ミス、英語ではスペルミスという「うざい害虫」がいる。全部自分で気が付いて初めて、最終練習やテストで高得点が望める。

自分で自分の大きなミスに気が付けるようになることが要求されているのに、そこに至るまで、いちいち注意されることに慣れてしまっている、というのは大変危険だ。

学習指導で「注意」することは大切なことばかりだ

そもそも学習指導者が「それはやらない方がいい」とか「こうした方がいい」というのは相当危ない時や、大切な事項の説明でもある。それをいちいち大声で指摘していては講師の身がもたない。そういう予備校や塾の講師は大変だな、と思う。

また、特にその分野での初心者への指導は気を遣う事が多い。英語の勉強始めで雑にやることを覚えてしまった人が、その癖を直し、普通の学習を身に付けるまでの道のりは、スンナリ行った人の3倍かかるように、慎重に行かないといけない。

茶道の稽古でも、急に身のこなしが上手になるわけがない、何度も繰り返しやって初めて身につくのと同じだ。そして静かに声をたてずに進行するのは、勉強と似ていて、目指すはあれだ、と私は思っている。

話は元に戻って、ダンス教室やスポーツ教室に通うご子弟が、大声で注意されることにも慣れてしまっていると思われる場合は、勉強の際に、不注意な小さなミスをたくさんしていないか、親・保護者の方は一度チェックすることをお勧めする。

そのダンス教室や、スポーツチームが、理性的・合理的で大声を出さずに、生徒さんが自ら注意することを自覚するようにうながし、実践しているところなら、今申しあげたような心配はない。良くないのは体育会系のノリで、とにかく何度もやれば、叱れば生徒はわかる、という方針の教室やチームは勉強にも良くない。

勉強では大声で指導することはまずなくて、「それはやらないほうが良い・こうした方が良い」と学習指導者が言った時は「絶対に」という言葉が実はついていて、注意された部分に、致命的なものが多いんだよ、と教えてあげるべきだ。

子供の成績が落ちたら、塾に入れる前に、眼科医に行け、ともいう。
でも、耳も大切だ。1年ごとに聴力検査をした方が良いだろう。