学校の先生との「付き合い」も大切だが、勘違いはしない

学校の先生は「友達」でも「味方」でも、モチロン「敵」でもないが、「権力者」だと言うことは忘れてはならない。

精神が幼い中学生に尋ねても、「権力者」の定義が出てこないことがあるので、先に定義しておく。酷い人になると「権力者」という単語すら知らない場合もあった。

「権力者」とは「他人の運命を決めることができる人」のことだ。

昔は皇帝とか王様、将軍とかが、政治や法律や、戦争や外交を決めて、人はそれに従っていた。法律に違反したら逮捕されて、最悪な場合は死刑、そうでない時は牢屋に入れられたりするし、政治で決まったものなら、長年住んできた土地から、立ち退きしないといけないこともあるだろう。

こうやって、人の「運命を決定できる」人や組織を「権力者」と呼ぶ。

学校の先生は、3年生の終わりに「君はこの学校」「あなたはあの学校」と割り振りを「決め」なければならない。それが憂鬱で病気になる教師もたまにいるが、最後は現在の社会維持のために、生徒の行先を決めなければならない。そのブラッキーなシステムがあるからこそ、4月になってどこかの公立高校が大きく定員割れとか、大きく人数オーバーなどがないわけだ。最近は再編の対象になるほど、大きく定員割れしているところもあるが、それは少し置いておく。

これが「権力者」でなくて、なんだろうか?

そのへんを勘違いして、小学校の感覚で教師に接している中学生がいるが、親・保護者は厳しく注意した方が良いだろう。一昔前の左翼主義者のセリフだ、時代錯誤だ、という批判は覚悟の上だ。

言葉にごまかされてはいけない

最近はどんなことでも「デオドラント化」が進んで、「税金で救済」を「公的資金注入」、「兵器や武器」を「防衛装備」などの言葉でごまかす傾向が強い。これは敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と呼んでごまかしていた体質が変わっていないことを意味する。最近は国会という、これ以上公の場はないような場所で、担当の役人が「記憶にございません」と秘匿するいいかげんな時代ゆえに、「教師は権力者側だ」という意識も薄くなったようだが、依然として、厳に存在する事実から目をそむけるわけにはいかない。

あんたの行先を決めるのは、あの先生たちなんだよ、と。

こういう話を聞いた時に、嫌そうな顔をする子供と、そうだな、これからはそう考えよう、という子供と、そんなこと知っているよ、何を今更、という子供とでは、もう大体成績がどうなるか予想できる。精神的に幼い人が、中学校で成績を上げるのはホントに大変なのである。

意識改革を小学校の中学年ぐらいから始めなければならないことに、親・保護者は早く気が付かねばならない。ショック療法で、今の話を中学生になった子供に教えてあげるのも良いだろう。

誤解してもらいたくないのだが、べつに学校の先生に媚び諂えと言っているのではない。あまり頼りにし過ぎてももいけないし、敵視しすぎても、無視しすぎてもいけない、お付き合いはほどほどに、と言っているだけだ。

そして完全に無責任というわけでないが、一貫して責任を取るわけでもない。取るなら途中で転勤するわけがない。また極めて小心的な権力者で、非常事態になってつっつかれると隠れて逃げてしまうし、組織を上げて守り、責任など取らせないのは、数多くの事件がそれを証明している。これは政治家も顔負けだ。

試合をするときに監督を登録しておかないと試合に参加できないのと同じで、極端な話、学校の先生は、いてくれないと困る存在だ。プレーするのはあくまで選手=生徒なのだ、ということを忘れてはいけない。