人類に貢献した多くの偉人が数学を得意としたから

1つ目が、今までに存在した偉人は、優れた人ほど本業以外に数学ができたから、だ。少し世界史の知識が必要だけどね、と前置きするのが恒例になっている。

古代ギリシャ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、そして日本にも偉人はいた。彼らは各方面で名を遺したから偉人なのだが、多少の例外はあるにしても、たいていは数学ができた、という事実がある。むしろ数学は彼らの業績の基礎になる一つの要素だった、と言っても良い。

で、教育の目標は何か、となると簡単に言えば、成長した後、世の中の役に立つ人間になってくれ、できる限り世に害する人間になるな、である。

偉人の業績を参考にしているようだ

ただ偉人というのは、同時に変人・奇人が多いのも事実で、トルストイやイプセン、あるいはルソーなどの日常生活や根本思想を知ると、「この人、大丈夫か?」とびっくり仰天すること間違いない。まともなのはレンブラントやガウスぐらいだ。天才数学者のガロアに至っては決闘で受けた傷が原因で20才で死んでいるし、墓碑はあるが、遺体が埋められた墓すら不明だ。もっともキリスト教者にとって、肉体は単なる魂の器だから、あまり重要視していないかもしれない。

日本人の偉人も例外ではない、例えば葛飾北斎は一生のうちに100回引っ越したというぐらいの「引っ越しマニア」だった。もしアートやサカイなどの引っ越しセンターが江戸時代にあれば、御得意先になったことだろう。実の娘が一人いたようだが、こんな父親を持った彼女は大変だったはずだ。

とにかく、そういう変な点はあまり真似て欲しくはないので、彼らの日常生活を学校で教えることはあまりない。知りたい人だけ知ってください、の態度で隠している。

現実問題として高校数学は必修で難しい

閑話休題。

2つ目の理由は少し現実的で、高校でもまだ数学は必修科目で、さらに勉強量が増え、極端に難しくなるからだ。特に高校1年生の場合、数学Ⅰと数学Aに分かれて、それぞれが独立した科目で両方で週に7回、あるいはもっとある。数学嫌い・苦手の人にとっては高校1年生は「地獄」であろう。

高校に入学して終わり、ではなく、3年近く続く。高校数学について行くには、公立中学校の定期テストで、最低でも80点取れる人であることが必要条件だろう。70点前後ではちょっとしんどいし、50点代ではかなり論外になる。

こういうことを、はっきり言う先生はあまりいないが、本当なのだから仕方がない。もし保護しているご子弟が「公立高校に行きたい」と担任の先生に訴えても、あまり良い返事がもらえない場合は、たいてい数学が悪いのが原因だ。ただし国語は良い場合なら、大丈夫かもしれない。

大学入試でも数学を必要とする学校が増えていくだろう

又、国立大学の2次入試科目で、理系は当然として(数学の出来ない理系は「肉の入っていない牛丼」であろう)、文系でも数学はまずはずれることはない(数学のできる文系は「卵とみそ汁が付いた牛丼セット」である)。これは大変大きい。多分、新形式の大学入試問題になっても数学はなくならないだろう。

なんとか期末試験も終わって、いよいよ次は入試である。毎年のことながら、入試を受ける人は、最後は数学ばっかりやっている、という事態になる。不安を消すには、不安の元と対決する、という唯一・随一の解決策だ。

親・保護者はこの時に、この期に及んで腰がひけている状態にならないように、日頃から保護するご子弟を、学力的には当然として、精神的にも鍛えておく必要がある。