数学の授業で「声に出して教科書を読む」という行動を取る教師は少ない

以下は、最近、学校の授業で数学を理解できていない生徒が多すぎるから、何とかなればいいな、の意見だ。何ともならないかもしれないが、何も言わないのは現状維持に加担しているのと同じなので、あえて言っておこうと思う。

国語とか英語の授業では「読む」ことが重視されているのに。なぜ数学や社会の教師は教科書を朗読させないことに、一番疑問に思っている。

もともと大そうな「武器」を持たされない状態で戦うのが、中学数学だ。社会はたぶん自分の手持ちの知識を越えたものが要求されてもいる。

角度を求めるには三角形の内対角の和を頻繁に使うし、面積は「底辺×高さ…」の公式を使うか、周りを切り取る方法ぐらいだ。高校数学みたいに三角形の面積を求めるのに、ヘロンの公式やら、三角比やら、果ては積分など含めて、10何通りもあるわけではない。

だからこそ普通の生徒でも努力次第で、6割~7割の点数が取れるような仕組みになっている。問題は「努力次第」の方法だ。家では数学だけでなく、他の科目もやらねばならない。やはりここは、学校での数学の授業中に、ある程度はわかってもらいたいところだ。

そのためには生徒も授業に「参加」させる形が一番いいが、レベルの低い生徒だと、能力で「参加」することは難しい。しかし「本読み」ぐらいはできるはずだ。目が弱いのなら、口で補うしかない。また何回も読ませれば、少しは覚えるかもしれない。

その点教科書は本の製品自体が大変良質で、1年~3年経っても字がかすれることもないし、ページがばらけることもない、一級品だ。私はゆとり教育に積極的に賛成はしなかったが、特に反対することもなかったし、むしろ教科書の質、つまり説明文の造り、字の大きさの研究、イラストなどの質が上がったことは、大変良かった、と思っている。

今、朗読としたが、教科書そのものを使わない教師もいる。せっかく税金で安く作成されているのに、プリントばかり使う教師も多い。プリントはぺらぺらの紙だから、紛失する可能性が高いし、インクや紙質もあまり良くないので擦り切れて、字が読めなくなることも多い。

今の教科書はよくできているが、使いこなせていない

この教科書に出ている問題を全部覚えたら、かなりできるようになるのに、なぜしないのか。特に中1の作図問題では強調しておきたい。

私の過ごした小学校・中学校の「詰め込み教育」時代の教科書や参考書なんてひどかった。どこかにあるかもしれないが、今は見当たらないので説得力がないけど、本当にひどいもので、今から考えると、よくあんな「学習インフラ」で勉強していたなあ~と思う。

昭和30年代~40年代を「あの時は活力のある時代だった」と懐かしむ人たちは、きっと情報や記憶をねじまげているに違いない。それが芸能人、役者、あるいは評論家などなら、元々「勝ち組」で、注目されているから、ブログなどを読む人も当然多く、デジタルに発信すると数多い支持者がすぐに拡散してくれる。

そして急速に「なるほど、あの人が言うのだから…」と信じる人がすぐに増えて「正義」となる傾向が強いことも忘れてはならない。また実際、ああいう貧弱な「学習インフラ」でも、知識を吸収できるぐらいの力のある「強者」だから自分の過ごした時代を「良かった」と懐かしむ資格があるのも事実だ。

話は逸れるが、昭和30年代を描いた漫画と言えば「三丁目の夕日」で、映画にもなった。しかしマイナー好きの私としては「でんしゃ通り一丁目」を推したい。2巻で終わってしまったが、もうちょっと続けて欲しかった。この漫画を読んで、なんで都電は廃止になったの?今でもあればいいのに、都電に乗ってみたいな~と思ったのは私だけではないだろう。大阪でも同じだ。古い写真を見ると、極めてエコで、本当にもったいないことをしたな、と感じる。ちなみに路面電車は英語で street car と呼ばれる。train でないのは、交通法規に従うからだろう。

成績が悪くても「音読」なら授業に参加できるだろう

話は元に戻るが、合唱・朗読させた方が、なんと言っても教師は楽ではないだろうか。少なくとも合唱・朗読させている間、私語はできないし、目は教科書にくっついているから、よそ見もできないので「こっちを見て!」などと注意する必要もないし、時間も稼げる。眠い生徒は眠気が飛んでしまう。一挙三~五の得がある。また読むことで誰でも授業に参加できる。

生徒と言うのは見ているようで、全然見ていない。見えているつもりでも、脳にまで届いていないことが多い。特に、雑で、適当な行動をする人はその傾向が強い。自分の見たいものしか、見ないのだ。

ではどうしたら「見て」くれるのか?そこは、強制するしかない。よくいう所の「眼をかっぽじってしっかり見ろ」だが、そんな乱暴な口調だと生徒が怖がるし、教師も知性を疑われるので、誘導するのが一番だ。そして「今何て書いてあったか、思い出してみなさい」と確認を何回もすれば、覚えるはずだ。

あの伝説的な高校数学の教師 なべつぐ先生こと渡辺次男氏は、質問に来た生徒の問題集を取り上げて「君が質問したい問題を、この場で再現して書いてみなさい」と確認したそうだ。自分の「いる場所の状況」を言えないようでは、確かに何がわからないのか、話にもならない。

教師が生徒の能力を見切っているなら、「教える=自分が話す」「補強する=プリントを適切な量で配る」「考えさせると覚えるを混同しない≒覚えさせて、似た問題の時に思い出させる」ことのベストミックスを採用するだろう。

だから親・保護者は、授業参観で特に数学の教師が「教えることだけに熱心=独りよがり」なタイプか、「プリントがやたら多いタイプ=教科書を使わない」か、「考えさせることだけに熱心=問題数が少ない」なタイプか、どれかに偏っていないか、と見抜く必要がある。

もしそうなら要注意で、学校があまりアテにならない、と考えて、自助手段を取るしかないだろう。その際、家で、親・保護者の目の前で声を出して読ませることは、一番簡単で効果的な方法である。

読書百遍意自ら通ず、というし。ぜひ実践していただきたい。