学生も2種類いるようだ

最近は学生も2種類に分かれてきたようだ。
数字にこだわってはいるのだが、隠さない人と、隠す人だ。

特に、エリート学生ならともかく、最近普通のレベルの学生は点数にこだわることを隠そうとする。点数が取れなくても「気にしていない」という。かっこ悪いと思っているのかもしれない。そう思っていたら、どこかの雑誌か漫画で「泣くとかえって、ある種のホルモンが出ていってしまい、向上する気力がなくなる」ということを思い出した。

もちろん今の文言は不正確で、ホルモンではなかったかもしれないし、向上する気力ではなく、別のものだったかもしれない。とにかくそのような内容の話だった。だから「顔に出すと、かえって損だ」と思っているのかもしれない。

ホルモン云々はよくわからない。そういうのであれば、そういうものなのだろう。しかし悔しい時は素直に「くそー」と思い、中学生ぐらいなら顔や態度に出しても、いいのではないか。特に59点、69点、79点はかなり悔しいだろう。99点はやめた方が良い。それなら98点~95点の方がましだ。

どちらにしても顔や態度に出してくれた方が「じゃあ次はがんばりますか?」と質問しやすくなるし、本人も「次はがんばります」と言ってくれることが多いからだ。

以上から学生の間ぐらいは、素直に数字にこだわっても良いような気がする。というのも大人になると、実は数字では説明できない「何か」で評価されることが多いからだ。もちろん納期までに〇〇個作れよ、とか○○件の受注を取ってこい、などのことはある。

仕事ができなくても愛される人はいる

でも、特に仕事ができなくても、職場にいるだけで周囲がホワ~ンとするような人や、きつい交渉の席でも、マイペースを貫き、気が付けば、相手がペースに引き込まれている「心の写輪眼」「相手を意のままに動かすフォース」みたいな不思議な技を持つ人や、なんとなく、なんでも相談したり、ぐちを言えて、うんうんと聞いてくれる人や、自分の趣味を楽しそうに話すので、こちらまで引き込まれてしまうような人がいる。

いわゆる「共感力が高い」人だ。気が付けば今までの自分の人生をすべて話してしまいそうな、ある意味ブラックホールレベルの恐ろしい人物でもある。ただしブラックホールだから守秘義務は必ず果たす。

そういう人は、必ず無意識のうちに大切にされる。その人が会社を辞めるとなったら、エースがやめるより大騒ぎになるのではないか。またそのような人が在籍できる余裕がない会社は、たぶん長持ちしないだろう。仕事はできなくても、少なくとも人の脚は引っ張らず、皆には迷惑をかけないから、愛されるのだろう。実は塾生のなかにもそういう人はいる。

そんなに成績は振るわなくても、点数を上げるために、一生懸命やるので、こちらもいつの間にか肩入れしていて、滑り込みでもなんとか希望する学校に入れたときは、優秀な生徒が、上位校に予定・計画通りに合格したときよりも嬉しかったりする。

そして卒業して目の前からいなくなると、しばらくはこちらも張り合いがなくなったりする。なにしろその生徒の人生と私が交差することは、もう99%ないのだから。ああ言うのを「人徳」と言い、若年でも「人徳者」はいるのだな、と確認することもけっこう多い。

しかしただの善人だから、肩入れしたのではない。それなりに数字にこだわる姿勢を見せたから、こっちも肩入れしたのだ。数字にこだわるのが、受験生の「倫理綱要」だからだ。