褒めるのも大切だが、褒めて伸びるには条件がある
この稼業をやっていると、生徒に注意する時がたくさんある。注意するために生きているようなものだ。しかし中には、致命的・決定的なミスをしているのに、危機感が全くない人もいる。この時はより厳しく注意するしかない。
でもミスを指摘すると、自覚がなく、精神的にも幼い若い人を不愉快にさせることも多いし、そういう彼らの顔を見ていると、こちらが悪いことをしているみたいで、面白くないので「この仕事はいやだな~」と思う時もある。
だから「叱らず、褒めて育てる」の学習指導方法や育児方法が主流の時は「どこのお調子者が主張したんだ?」と不愉快だった。
「褒めて育てる」が成功するためには、褒める側と褒められる側に「大きな信頼関係」を前提とすることが全くわかっていないな、と思ったからだ。例えば、あまり良く思っていない先生に何かを褒められても、嬉しいどころか、うっとうしく感じるのが思春期の若者だ。しかしチームを引っ張っていく、日頃無口なキャプテンに、試合中のプレーを「よくやった」とぼそっと褒められたら、舞い上がるだろう。内心ではキャプテンをものすごく尊敬・信頼・信用し、キャプテンに認めて欲しいと思っているからだ。
よって基本方針は、褒めるのは補助、基本はやはり叱る・注意する、だ。ただし感情的に怒ってはいけない。まあ感情が入らないなんて人間的ではないから、完全に無感情というのは無理だが、できるだけ抑える。
そしてやってはならないミスをした時に、厳しく注意する、期待した以上に頑張ったり、良い結果が出た時は大げさに褒める、これが一番効果的だ。注意しても次にまたやるかもしれないが、注意しなければ、また確実にミスをするからだ。「このままではやばい!」と思わせるためには必要悪だ。もちろん「厳しく」には色々やり方があるだろうが、それはご家庭によって違うので、調整はお任せする。とにかく褒めて育てる「だけ」だと、片肺運転だ。勘違いしないようにしたい。
任せるには経験と成功の分類が必要
中学生は子供だけど、完全に子供ではないし、大人ではないが大人への道を歩む存在でもある。よって、彼らに何でもかんでも完全に任せるのは、危険が大きすぎるし、かといって人格の可塑時期でもあるから、あまり干渉しすぎるのもいけない。任せるメルクマールは「彼らが以前に経験した事態」かそうでないか、あるいは「何回も経験した」のか「少ししか経験していない」のかで分け、「経験した時にうまく行った」と「うまく行かなかった」も考慮に入れる。
釣りやスポーツの指導と同じと考えれば、気も楽になるのではないか。初心者には誰でも懇切丁寧に接するだろうし、少しわかってきたら任せる、しかしよく似た事態だが、実はレベルが上がっているなら、また一段丁寧に指導するのが普通で、それがインストラクターの所以たる核心だ。
子供に任せています、と言いながら、実は自分が怠けているだけ、になっていないか、親・保護者は点検しなければいけない。もし仮に勉強の面倒を見ることができなくても、子供の学校スケジュールや提出物の期限などを、学校に連絡をして教えてもらうとか、FAXを送ってもらうとか、コピーを取りに行くとかで、十分知ることができる。このように、子供を助けれることはいくらでもある。