学校とはそもそも「風通しの悪い場所」

恐らく、いじめが原因の自殺者が全国で出ているし、これからも出るのだろう。残念なことだ。実は当塾に通っていた人のクラスからも、過去に自殺者が出たこともあり、「他人事」という気はしない。そして、あまり公けにはなっていないが、学校からの口止めも、保身行為も行われているだろう。

事故や事件が起きる組織は必然的にまず「風通し」が悪い。元々学校というのは、風通しが悪い組織だ。公金を使って行う大切な事業ではあるが、その公金を使用している授業そのものが「公開」や「記録」にさらされていない。

妙な言い方がだが、「風通しが悪いことが、前提で、その方がうまく行くことも多い組織」でもある。紙の記録はある。教育委員会に提出される、中間期末テストの問題とその結果だ。しかし「日々の授業」の記録はない。映像があるわけでもないし、目撃者がいるのでもない。

目撃者はいることはいるが、未成年で、能力もばらばらで、頼りないことこの上ない人だらけだ。また善悪の判断を付けるには少し幼い人も多い。ノートは取っているかもしれないが、全員同じでもないし、人によって受け止め方が違うことも多い。

同じ教室で、同じ距離で、同じことを聞いていても、耳に届いている人といない人がいるのは経験済みだ。
私:「先生、この問題に触れていましたか?」
A君:「全然!」
B君:「お前、アホか、今日、○○先生、言ってたろ。俺より前に座っていて何を聞いてたんだ」
なんて会話は日常茶飯事。ノートもしかり。

命に関わりのあまりない授業なら許せるかもしれないし、取り返しも付く。でも命に関わりのあることで、自分がまだ進路決定の途中なら、自分が知っていることが真実かどうか判断が付きかねるので、口を閉ざす可能性もある。誰でも自分が一番可愛いし、大事だから。

当然だ。誰も責めはしない。ましてや「いじめ」など、陰湿な、そして相対的なものは、まず可視化が不可能に近い。変な話だが「自殺」とか「乱闘」の「大事件」が起きて、やっと可視化の可能性がでるだけだ。それでも、うやむやになる可能性の方が高い。

仲間だけを守るのは人間の習性

1945年の沖縄戦で、沖縄が「捨石」になったのは、彼らがまだ「日本人」ではなかったからだ。当時は琉球人と呼ぶ人が多く、まだ仲間ではなかったから「捨て石」にふさわしいと考えたようだ。特攻隊も最初はエースに特攻させたが、その後は、未熟な一般航空兵ばかりで、海軍兵学校や陸軍士官学校出身のパイロットが少なかった。彼らは「海軍」や「陸軍」に完全に所属している兵士ではなかったからだ。日本ではこのように、自分の集団に所属しない人を平気で阻害し、見捨てる傾向があることが、歴史を学ぶと見えてくる。

学校の先生が解決してくれるのが、一番良いが、先生の「当たりはずれ」がある。もし相談を持ちかけても、うまく行かないようなら、学校にあまり期待しない方が良い。「危機管理」に一番なじまない組織の1つでもあるからだ。責めているのではない。洋服屋に行って、豆腐を注文するようなお門違いになるからだ。弁護士、司法書士、行政書士などの「トラブルを飯のタネ」にし、知力優れ、発想が違う人を、保護者は味方にする=お金を出すことをためらってはいけないのだ。

勉強も同じである。ご子弟がどうもうまく得点できない時は、プロに頼んだ方が、結局は安くつく。そして一番の貴重品である、時間も損をしない。事態がもっと悪化してしまうと、もはや素人ではどうにもならない。自殺すると本当に死んでしまうが、勉強ができない状態で授業に出席していても、その科目的にはゾンビと同じだ。いち早く「蘇生」させ、病んだ部位は切り離し、他に影響が出ないように、処置をしなければならないのは医療と同じだ。

いじめ問題や、勉強がうまく行かない人たちを見ていると、同じ感想しか出てこない。