あまりにも忘れ物が多い人は…

以前に、経験上いわゆる「勉強のできない人、しない人」の特徴を上げてみたが、まさに非認知能力の欠けている人にあてはまることが多かった。その中でも極め付きが、忘れ物が多いケースが圧倒的に多い。頻繁に忘れ物をしてくるため、そのうち自分の名前や誕生日まで忘れてしまうのではないか、と危ぶむこともあった。

もちろん消しゴムや筆箱そのものを忘れてくるなどの軽微な場合から、重要な宿題をやることを忘れてくるなど、忘れ物にも色々なレベルがある。これは家庭環境も大いに影響している。そして学校と塾では対応が違ってくる。

まず、学校には色々な学童が集まる。特に公立の小学校・中学校には地域から集まるから、いわゆる「平均的な家庭」もあれば「平均以下の家庭」、あるいは「平均以上の家庭」の学童も通ってくるだろう。

例えば営業時間が夜の親や保護者だと朝は起きづらいし、夜は家にいないから、どうしても子供の日々の準備を見てやることは、ままならないだろう。大変だなと思う。

子供が「良くできた子供」なら、そんな親に迷惑をかけないように、自分から準備をちゃんとしてくれるが、そうでないボンヤリした子供の場合は、本当に大変なことになる。

「大変な」学童に「忘れ物をするな」と言い聞かせても、それこそ時間の無駄になってしまうから、学校の先生は彼あるいは彼女の用のスペアを用意して、とにかく勉強を始めさせる方法を取らざるをえない。

塾にそういう学童を通わせる時は注意する必要がある

しかし上のような例にあてはまる、あるいはあてはまらなくても、とにかく「忘れ物が多い学童」を塾に通わせることになったら、親または保護者は自らの習慣を改め、子供当人にも自己改善の必要があるのに、それを思いつかないケースが最近すごく多い。「他人に預ける以前のこと」ができていないのである。

以前にも申し上げた通り、今から30年以上ほど前、私が駆け出しのころの親や保護者は、子供にはものすごく怖い人が多かった。わざわざお金を出して塾に通わせているのに、底が抜けいるような行動を子供が取ったら、それこそ烈火のごとく叱っていたし、同時に「こんなアホの子で申し訳ない」と、謝りに来られる人までいて、自分より年齢も経験も上の人に、頭を下げられてむしろこっちが恐縮したこともある。

そういう人の子供だったら、多少遅れていても、辛抱強く指導すれば、だんだんマシになってきて志望校に合格することも多かった。

しかし中には、自分の行動を改めないで、塾側にだけ「もっと厳しく指導してくれ」と注文する場合は、指導の成果は上がらず、「あの塾はダメだ」とばかり辞めてしまうケースもあった。当時は少数だったが、後を追跡してみると(つまり同級生だった在籍生にこっそり尋ねてみると)、成績が上がった風ではなかった。

塾側としてはそもそもあまり時間がない上に、たいていは「マイナスからのスタート」

せめて忘れ物ぐらいはしないで欲しいのだが、そういうこと=非認知能力の開発には励まず、物質文明に完全に感化されて「お金と時間をかければなんとかなる」と思い込んでいる家庭の子供を送り込まれては、かえって迷惑だし、たいていうまく行かず評判が悪くなってしまうのを一番恐れている。
信用を築くのには長期間かかり、失うのは一瞬、というのは最近多い、企業の偽装事件で明らかだ。

あの剣豪 宮本武蔵は一生涯、不敗を誇ったが、それはつまり「負ける戦いはしなかった」ということで、相手や戦場の選択は極めて慎重で、ちょっとでも自分に不利な要素がある場合は、口実をつけて、勝負を伸ばした。

塾は成績を上げてナンボのものである。やばいなあ~と思った場合は、たとえ入塾に来た人の成績が良く将来有望でも、何かと理由を付けて断ることもあるだろう。

では当方は、と言うと、断りはしないが、こういう理由で少し困難が予想されます、そちらに改善をお願いします、それであるならば、と正直に申し上げることにしている。

最初から無下に断ることは、やはり失礼だし、もしかすると改善される可能性も、否定できないし、うまく行ったこともあるからだ。ただし改善されない場合は「約束違反」になるので、残念ながら退塾となることも、あったのは事実だ。どうしようもない時は、どうしようもないなあ~とため息をつきたくなる。

2000年にノーベル賞で公認されるまで、理窟や理論はわからないまま、当方は「非認知能力」こそ一番大切と気付いていたのかもしれない。これだけは経験してみないとわからないことだ。