自分でコントロールできない状態になってしまうと他人に人生を任せてしまう

アメリカの伝説的経営者であるジャック・ウェルチは
“Control your own destiny or someone else will.”、
「自分の人生は自分でコントロールしなさい。さもなければ他の誰かにコントロールされるだろう」
と言ったが、この生徒はまさにその状態だ。もしその「頼りになる誰か」が間違うと、わけもわからず自分も間違うことになる。

ちなみに、このウェルチ氏と経営方針でぶつかり、「馬鹿野郎!」と怒鳴りつけ、GEを蹴って日本に帰り、レーザーターンテーブルを開発した人は日本人だというのも面白い。

そして中学生になると、もうどうしようもならなくなっている場合の人を今まで多く見てた。
実在の例をあげると、十分その人にわかるような問題を「あなたはどう思いますか」と質問してみたら、完全に沈黙してしまうので、最初の1、2回は他の誰かに当てて、答えてもらった。

実際の突破口は中々にきつい

ははぁ~これは自分に自信がないのだな、誰か先に意見を言ってもらって、確認してからが習慣になっているなと判断し、3、4回目に当てた時に「あなたが答えるまでいくらでも待ちます」とした。2分ほど経ったとところで、さすがにこちらが本気だとわかったらしい。もじもじし出したのだが、素知らぬ顔で「いくらでも待ちますよ」とさらに念押しをしてやると、10分経ってもまだ意見を言わない。

ここら当たりで、周りの生徒たちは凍り付いていた。

学校ではこんなことは起きないからだ。やろうと思っても、邪魔をするバカやアホの子がいる。「『空気の読めない活動的で迷惑なバカ』ほど困った存在はいない」とゲーテは言ったが、特に公立の小学校に多い。

私は知らん顔で、特に怒っている風でもないような表情を保っていた。私は常に、大きな声で怒鳴ったりしないことを実行している。生徒には下の名前でなく苗字で「~さん」「~君」と呼ぶようにしているし、「~ですね」というように、なるべく丁寧な言葉使いで接するようにしている。私は彼らと友達ではない、ということをはっきりさせ、言葉で勝負するのが学習指導者だ、というオバカな信念(?)を持っているからだ。

誰かが教えようとしたので「やめておきなさい。この人は答がわかっています」と制した。とうとう半べそをかきだしたが、それでも待つことにした。それで20分後に「○○です」とか細い声でようやっと解答を発表した。もちろんそれで合っていた。よくできました、と褒めた後さきほど言った「悪循環」のことを説明した。

さらに
「間違っても構わないから『こうなるのではないか』と自分から発言し、互いに検討することで、理解が進む。こちらは生徒が間違うことには慣れているので、決して笑ったりしない。むしろこちらが想定しない間違いを、待ち受けている。コレクションに加えて、経験値を伸ばし、さらに指導のヒントを得たいからだ」と確認した。

本人にはショックだろうが、時にはこういう荒業も必要

ただしやる、となったら親・保護者にウラで連絡を取って、用意周到な環境を整えておく必要がある。「やっかいな憑き物」を落とすには「儀式手順」が必要だからだ。

本格的な指導は「憑き物」を落としてから始まる

後で聞いたところ、私の考えていた通りだった。簡単な問題を失敗して、皆に笑われ、それから自分から発言しなくなったらしい。特に仲良しだと思っていた人も笑ったことが、「大きな不信と自信喪失と自己嫌悪」になったと。もっとも「大きな不信と自信喪失と自己嫌悪」などの単語をその生徒が知っているわけではないから、私が言葉を置き換えて、説明を補足した。ホントに子供の世界は残酷で、一種の「サバイバル・ゲーム」だ。

もしご子弟が自分から答を言わない傾向が見られるときは、本当にわからないのか、わかっているけど間違えて笑われるのが怖いのか、きちんと見極めるべきが、親・保護者の責任であり、学習指導者の責任でもある。今一度、ご自分の子弟が、解答の際にどう行動するかを、よく観察することをお勧めする。

この逆で(…逆かな?)、大声で叱られないと、自分のミスに気が付かないという習性を持ってしまった子供も、実は要注意だ。これについては、以下のところで取り上げている。

大声で注意されないと、わからない人は要注意だ