奇抜やめちゃくちゃな方法を考え付く練習も必要

ある程度は理に適っているが、同時に「奇抜なこと・どぎついこと・ハチャメチャなこと」まで書けるようにデーターを集め、意識を改革し、試験会場で書ける胆力を養う。

さきほどの画像は、漫画「気まぐれコンセプト・クロニクル」からで、就活を始めようとしている学生に、若手社員がアドバイスをしているシーンだ。これを高校受験に当てはめることは、ちょっと乱暴すぎるのも事実だが、応用する価値はある。

小論文と言っても多くても600字、少ない場合は200字しかない。頼りないことに、原稿用紙に書かれた、物言わぬ文字だけが、自分を表現する道具だ。通り一遍の、お上品な事を書いていては絶対に「目立たない」だろう。経験上、そういう人は相当内申点が高くない限り、合格した試しがない。かと言って、やたら文字を大きく、色を付けるわけにもいかない。となれば内容勝負だ。

また「成績が良い」ことは「まじめ」であり、意地悪くとらえれば「型に嵌っている」ことの可能性が大きい。もちろん何にでも例外はある。そもそも内申点が良い≒テストで良い成績を獲っているためには、教科書内容ぐらいは覚えていて当然である。でもこれが足枷になる可能性も否定できない。

また、運命を決する緊張した受験会場で、奇抜なことや、ハチャメチャなことを書くのは、相当の胆力が必要だ。よって日頃から「奇抜なこと・ハチャメチャなことを書くことそのものに慣れ」なければならない。そのための練習だ。

「奇抜なこと」を考え出すにはどうしたら良いか?

問題はこれだ。奇抜なことを考えるのにマニュアルなんてあるわけがないので、こういう質問が一番困る。でもヒントぐらいは出せる。

「規範意識をはずしたり、ずらしたりしてみる」ことが一策だ。

そこでよく上げる例が「ウサギを殺す」という行動を君はどう思うか?と質問してみる。たいていは「とんでもない話です!」と言う。現代の中学生としては、当たり前の反応で、もしこのような反応が出てこなかったら、逆に事態はヤバくなってしまう。

そこで
「確かに現代の社会で、学校で飼育しているウサギを殺す、となると、たいていは猟奇事件の前騒動になる。でも10万年前の原始人さんが、ウサギを捕えて殺すのはどうか? 原始人さんにとっては『ラッキー! これでまた1日生きれるぞ~』となるでしょう。倫理は時代によって変動するものです」
と発想を変えるきっかけになる「たたき台」にする。

あるいは昭和の最初まで、ウサギは繁殖力が強いが、捕獲しやすい小動物で、山に住む人々にとっては貴重なタンパク質であり、その骨は山では取れない超貴重なカルシウム源だったから、骨まで砕いてササミにして食べた、というと「残酷だ!」とびっくりする子供が多い。

「でも皆さんはイワシの骨まで砕いて作ったハンバーグを『健康食だ』と平気で食べています。山にはイワシはいないし、当時は山にまで魚が届かないから、仕方がなかったのでは?また「ウサギのテリーヌ」というお上品なフランス料理もありますけど?」と返答すると「そっか!」と納得してくれる人が多い。

まあこんな感じで「彼らを取り囲んでいる壁」を取り払っていけば「奇抜な発想」がしやすくなるようだ。ただし、行き過ぎないようにブレーキをかける必要があるのは、言うまでもない。

まだ続く。