話が少し逸れそうだが、ここまで来たので
彼の作品中に「破約」というものがある。結構有名で、以前は教科書にも載っていたぐらいだし、ネット上でも話題に事欠かない作品だ。
ごく簡単にまとめると、ある侍が妻に先立たれる。妻は後添えの女性を迎えるように言ったが、侍はそれを拒絶し、妻は心安らかに死ぬ。しかし武士社会では、子がいないと、お家取り潰しになるから、親戚の強い要望のため仕方なく数年たって後添えを得た。すると先妻が亡霊になって出現し、とうとう後添えを殺害してしまった、という話だ。
問題はこの後だ。本から抜き出すと、この話を聞いた小泉八雲は
「ひどい話だ」 と、話をしてくれた友人に言った。
「前妻が復讐する相手は約束を破った侍だ。殺された新妻は全くの無実じゃないか」
「男ならそう考えますが」と、友人は答えた。
「しかし、女の考え方ではありません」
友人の言うことは正しかった。
というセリフでこの話は終わる。
当時中学生だった私にわかるわけがない
もちろん当時、無知な男子中学生だった私に、意味はわからなかった(年を取って、あまり無知ではなくなったつもりだが、まだまだわからないことが多くて残念)。なんでそうなるの~?と。父母は共働きで忙しかったので、祖母に質問してみると「まあまだわからんよな~」で終わりだし、もしかすると言葉にするのが面倒だったかもしれない。その祖母も私が中学3年の時に亡くなってしまい、答は聞かず仕舞いだった。
その後もずっとこの作品は私の心に疑問として残り続け、成人してやっと、ある友人から正解と思われるものを手に入れた。それは「女性は自分の生きている世界が正しいと思っていて、そこに侵入してくるものは、たとえどうしようもない事情があっても、悪と考える傾向が強い」だった。
小泉八雲という「外国人」でも「ああそうか」と納得するわけで、これは国籍や国情を超越した人類共通の真理だったことがすごい。
性差別は良くないことに決まっているが
現実の世に性別や性差があるからこそ、服飾、医療など様々な文化や技術が生まれる。男と女・女と男のことを考えるのは一番の基本だな、と結論はついた。
と、答えは得たが、得ただけで実感はなかった。私は男だから当然だ。困ったな~と考えていると、それから数年たって「男性性と女性性」という考えを手に入れた。もうそのころは塾の講師としてかなりの年月が経っていたし、ある程度年齢も重ねていたから、目の前にいる生徒たちを観察することによって、男子・女子の中にある「男性性と女性性」を見分けることにした。
実感が無理なら、実証してみよう
男性性が強すぎる男子生徒には女性性を意識し、女性性が強すぎる女子生徒には男性性を意識することを家族に勧めることにした。そしてそれをうまく配分できるように指導することが、勉強だけの指導よりかなり有効的なことに気が付いた。
素直に聞いてくれたケースはたいていうまく行ったが、「そんなバカなこと」というご家庭は、改善が見られないケースが多かった。
変な言い方だが、お父さんが男性過ぎたり、お母さんが女性過ぎたりするとたいていうまく行かない。子供に「男は、女はこうあるべきだ」と押し付けてしまうこともあるだろうし、この「男性性・女性性」という考え方が理解できないこともあるようだ。人によっては「変態だ」とも考えることもあるのだろう。
でもそのままでは女装の好きな男性の動機は発見できないし、「オレは」とか「ワシ」などの男言葉を連発する女子生徒の心情や原因を考慮することもできないはずだ。
親・保護者にはできる限り柔軟であって欲しい、と願うばかりだ。
それが子供の成長につながるだろう。
今後「男性性・女性性」の考えももっと発展していくだろう。新しい考えもでてくるはずだ。私も常に勉強しなければいけない。少し話は逸れるが、プラトンの「愛の起源」にでてくる「ツイン・ソウル」と言う考えも、この「男性性・女性性」に関係があるのかもしれない。今研究中だ。