期末テストが近づいてきたけど

早いところなら後10日で、遅い所なら今月末だが、いよいよ期末テストだろう。順調な人もいれば、そうでない人もいる。

時々は小学生も頼まれて勉強を見ることもある。たいていは「算数の計算問題はできるけど文章問題ができない」から始まって、「+-×÷のどれを使っていいかわからない」が原因であることが多い。

そーいう人には「良く読んで考えなさい」、という抽象的なアドバイスがある。その通りなのだが、しかしこれは無意味でもある。そもそも人はどういう風に「考えている」のだろう。かなり哲学的な問題だ。深すぎて、本当に答えがあるのか、とも思う。

例えば道を歩くにしても、通い慣れた道を「考えて」歩く人はまずいない。
でも歩いたことのない道、例えば、誰かの家を探していたり、山道で迷ったり、坂道の岩ばかりで非常に危険な箇所などは「考えて」あそこで曲がるのか、とか、どこに向かっているのかとか、あの岩なら大丈夫だろう、とかして一歩一歩進めるだろう。

小学生の算数も同じだ。知った問題や似た問題なら「おぼえている」からあまり「考えない」で解くだろう。知らない問題はそれこそ「似た問題はなかったか」とか「考える」。小学生はある意味素直だし、それこそまだ子供だから親や保護者に言われたとおりに勉強するだろう。中学生でも同じなのだが、時々「成功体験」が発展を妨げる。

小学校の理科や算数で困ったことがなかった人が、中学校に入って、英語や数学で挫折すると「こんなはずはない」と自分の能力を過大評価してしまい、「次はうまく行くさ」と欠点を是正しないまま、やはり次でも失敗する、をしばらく繰り返してしまう。

「失敗は成功の母」というが、それは天才や人一倍粘着力の強い人の話で、凡人には「失敗は失敗の元」である。失敗を重ねるうちに嫌になって、挑戦することを止めてしまう可能性の方が高い。失敗続きになったら、冷静になって「何がまずいか」を見極めなければならない。

中学生になって挫折したなら

人はそれぞれだ。小学校の勉強で、すでに躓く人もいれば、中学校で初めてそうなる人もいるし、高校でスランプに陥る人もいれば、大学になってから、あるいは社会人になってから、という人もいる。

小学生を見ていて、もしその学童が面倒くさがりだったら中学数学の文字式計算で躓くことが予想できるし、漢字を覚えるのが嫌な人は、英単語暗記でコケソウだと予想できる。

図形のちょっとした違いが見極められない人は、英語の分詞の形容詞的用法や、形容詞節=接触節に弱点をさらすだろうし、おそらく規則を見抜く数学の数列問題は簡単なものでもできないだろう。

そこで中学生になって初めて挫折を味わった人にはこう励ました方が良さそうだ。
「今現在のあなたの能力の限界が来たのです。1回や2回では覚えることがすぐにはできないレベルの問題になってきたことを素直に認めて、今から反復して練習し、パターンを覚えることで、この状況を打破できる。幼稚園のお遊戯や、小学生の漢字テストに戻ったつもりで行きましょう」

そう言われて、プライドが傷つく人もいるだろう。でもプライドとは「実績」を持つ人だけが持って良いもので、ない人がプライドが~というのは傲慢を越えて、勘違いか、的外れである。素直に「今の私ではだめだ」と認識できる人だけが、難しい問題を解くことに慣れるだろうと経験則は教えてくれる。

そして、繰り返しやって覚えて時、初めて「考える」材料がそろう。

特に、文字式や方程式の文章問題に、このやり方を応用しなければならない。問題を系統分けして(あるいはそういう問題集を買ってくる。お勧めは「新中学問題集」の数学版だ)、たくさん解き、解き方を覚えてしまえば、多少新しいタイプの問題に出会っても、なんとかなったりする。そんなやり方は「本当には考えていないじゃないか」、と批判されそうだが、本人にとっては目の前の危機を回避したいのだから有効な方法だ。

面倒な計算問題を解き切る能力は、面積問題を速く計算するのに役に立つが、面積問題だけやっていても、手に入るものではない。日本語だけ与えられて、英語にしろ、というヒントなしの完全な英作問題は、相当な量の長文問題をやった人でないと、満点近くは難しい。

でも学校はそこまで教えてくれない。それなら自分でやるしかないではないか。 最大の利害関係者は、親や保護者以外に、もう1人いる。未来の自分だ。小さなソクラテスになったつもりで「私は何も知らないが、知らないことは知っている」と自分に言い聞かせるんだよ、とよく塾生に言っている。