小学校の教科書を読みなおす

次にやっておきたいのが、小学校の教科書を「読む」ことだ。すべての学校の授業を見たわけではないから、なんとも言えないのだが、「教科書をキチンと読む」「教科書に書いてあることを覚えている」人が最近少ない。

では以前は多かったのか、というとそこはそれ、子供だから教科書の内容を覚えている人は少なかった。でも家で読ませたり、学校で音読させたりは、よくやっていた。

いわゆる「ゆとり教育」は批判が多い。だが、本当は「新学力観」のせいだ。「新学力観」とは「児童・生徒の思考力や問題解決能力などを重視」し、「生徒の個性を重視」する姿勢から学習内容は「体験的な学習や問題解決学習の比率が大きくなった」学習方法で、評価は「関心・意欲・態度を重視する」こと、教師の役割は「旧来の指導から支援・援助の姿勢」に変える学校の姿勢を言う。

ゆとり教育は単なる授業削減の話

「ゆとり教育」は1970年代から続く「学習指導要綱」の削減に合わせたものでしかないし、2000年ぐらいから始まった学校5日制に合わせたものでしかない。批判するのは的外れだ。子供の学力が低下したのは、曲りなりにも経済成長を成し遂げた社会の成熟化と目標を見失った大人の態度の変化が影響してできたもの、そして今あげた「新学力観」だ、と私は思っている。

社会の成熟化に合わせて、確かに教科書は本当に良くなった。説明文も丁寧になったし、イラストや図も豊富になった。特に理科は実験のレポートもキチンと教科書内部に格納するようになったので、いい勉強になる。中学3年生が入試問題を解き始めて、行き詰まったら「教科書のここに書いてあるから、とりあえず読めば」というアドバイスが、私の定番になっている。つまり中学生であまり覚えていない人は、教科書を読んでいないのである。

新学力観にただ合わせているだけ

それは現小学6年生の中にもいる。
中1ギャップに陥る人に共通している行動は、意欲を表面だけ出しておけば、それで評価される「新学力観」に合わせているだけで、本当の姿勢は「教えてもらおう」だから、自分から教科書や資料集などは読まない、自分からはしない・始めないことだ。つまるところ、完全に「新学力観」からこぼれてしまった人たちである。「新学力観」は間違ったことを志向しているわけではない。「自発的に問題解決能力」を育むのが目的なわけで、むしろ完全に正しい。

正しいからこそ、実行できる人は少ない。私も含めて世の一般人は、強いられなければ何もしないだろう。それと同じだ。不勉強な人は、社会の地理・歴史の教科書を見ただけで「こんなにたくさん字ばっかりで…」という。そしてラクに点数を上げる方法はないか、探す。
そんなものあるわけがない。
「ラクして~で稼ごう」という謳い文句を掲げた詐欺商法にひっかかるタイプだ。

小学校でそういう訓練を受けていない人が、中学校で急に教科書や資料集を熟読したりできるわけがない。やはり小学校中~高学年、できれば低学年から、キチンと教科書を読む、覚える、という癖を付けるように親・保護者が指導しなければならない。

遅ればせながら、新中学1年生は、この春休み中に算数と社会、できれば理科なども、声に出して読むだけでよいから、復習するように親・保護者が仕向けることが必要だ。