いよいよ受験シーズンも終了する

国立大2次の前期試験が終わった。つまりそろそろ受験シーズンも終了だ。

今まで「受験で成功した親・保護者が、外見よりは、実は子供に相当に情熱を入れ込んでいた」ことを色々報告してきた。そしてなるべく普通の場合、つまり偏差値では70~65とかのかなりレベルの高い高校への受験ではなく、50~60前後の高校へ行こうとする人たちを取り上げてきた。

なぜか?

「平均点を脱出し、それを維持するのはとても大変だ」ということを具体的にお知らせしたかったからだ。もちろん平均以下から平均になることも大変だが、それ以上なのだ。

子供は親が導かなければならないという事実は大きい

それには子供だけの努力では、まずほとんど足りない。小学校 中~高学年から中学2年生の終わりまでは、子供はやはり子供で、見通しも甘いし、もちろん経験も自覚もあまりない。それを補ってやれるのは、身近にいる親・保護者しかいない、という現実をどれだけの人が認識しているか、たいそう疑問だからだ。

一般的に、何かに成功した人物が、自分が「私はこんなに努力していましたよ」と吹聴することは、冗談に紛れ込ませることはあっても、真剣に話しだしたら、たいへいの聞き手はひいてしまう。

世の中に存在する「果実」には、数に制限があり、それらを収穫できるのは、手の届いた者だけだ、という真実は覆せない。そしてその「果実」を得た者はある意味「罪人」で「抜け駆けた者」であり、たとえそれが正当な行動であっても、後ろめたい気が少しはする。また嫉妬を受けたくない、なるべく防止したいと思うのも真実ではないだろうか。

もっとはっきり言えば、違う高校に行った中学の友人とその家族は、その時点から「遠い他人関係」が始まっているのだ。であるなら気を許して、情報漏えいをするわけがない。

まだ終わりではない、始まったばかりだ

先にはもっと困難な大学入試が待っている。特にこれからは増々のは「大学入試改革」が待っているから、なおさらだ。中学レベルのことなど、早めに済ませなければならない。だからこそ受験期を控える子弟のいる親・保護者は、「果実を手に入れるために努力した」ことを隠すのである。

「運が良かっただけだよ」
「たまたまです」
「不安だったけど、それなりには、やっていたから」
「周りの調子が悪かったのかもしれない」

こういうセリフを言う、子供が受験に成功した親・保護者のなんと多い事か。しかし彼らの子供は、なるべく家に早く帰り、顔や手を洗った後、親・保護者が用意しておいた食事(この場合はいわゆる腹の虫押さえ)を食べ、そのまま部屋に向かい、勉強を開始する。

時刻が来れば、塾なり個別指導、予備校になりに行き、その時送り迎えをする家庭もある。ない日は夕食を、なるべく家族でいっしょに食べ、情報を交換する。その上で、塾の先生に今はどうか、今後どうするべきかと質問をすることもある。特に方針決定の役割をする保護者は責任重大だ。

家族の協力が必須

子供が風邪などひかぬように、栄養に気を遣い、家じゅうを清潔に保ち、流行の病気にかかった時のためにあらかじめ主治医や、かかりつけの医者に点滴などの確認を取っている親・保護者もたくさんいた。もしその医院に入院設備がない場合は、緊急でも入院できるよう、別の病院への紹介の手配までしている親・保護者もいた。

現に公立高校の入試の時に、不運にもインフルエンザに罹患したが、発熱を押して受験を済ませ、試験中、会場の外で親・保護者は車で待ち受け、出てきた我が子をそのまま入院させた人も何人かいた。彼らの中に落ちた人は今のところいない。

これだけの根性を持つ子供に成長させた親・保護者には脱帽でしかない。

まだ続く。