ちょっと追加理由を
「保育園落ちた日本死ね」と、恐らく新しく母になった人が血を吐くようなセリフを言っても、元首相が「匿名だからわからない」という答弁をして、そこが問題じゃないでしょ、と思った理由を書く。
「たとえその投稿がウソやデマであっても、保育園に入れない子供たちや親・保護者が実際にいっぱいることは、事実で、新聞などにも取り上げられていることを一国の総理なら知っているはずだ。国会という日本で一番大きな「公の討論の場」での、良い機会としてとらえて、きちんと取り上げるのが、正しい態度なのではないだろうか」と思ったからだ。
さすがに批判があがったので、気にしたのか、今度は別の議員の同じ質問には丁寧に答えている元首相の姿を見て、この人は恵まれた生まれ育ちをしている上に、残念だが自分の子供がいないから、実感があの時はわかなかったのか、とも感じた。どちらにしても現代日本は今いる子供や、これから生まれてくるであろう子供には冷たい社会なのだな、と改めて確信した。
私は過去30年から現在までの、日本の政治家や官僚が優秀だとは、どうしても思えない。もし優秀なら、こんな財政赤字にはならないだろうし、20年も前から少子化対策をしていても、全く効果が出ず、人口減少も全く止められていない。彼らは頻繁に「政治は結果だ」と言う。であるなら、結果の採点は0点で、落第となり、低能としか認められない。これは無能よりたちが悪いだろう。
(4)と(5)の項目について
(4)協調して、仲間と協力すること
(5)精神的に安定していて、不安や緊張に強くなること
これは、男性性も女性性もない感じがする。(1)~(3)ができている人なら(4)と(5)は「ほとんどできたも同然」ではないか?例えば(3)の能力を身に付けた人なら(4)の前提になる「仲間を得ること」は容易に実現できるはずだ。
次に(5)の能力だが(4)で仲間を得ているなら、一人で悩まずに、仲間に相談できるし、協力も仰げる。彼らと困難をシェアできるから負担も減るだろう。
(1)~(3)をクリアできれば、レベルの高い(4)と(5)を実現できるからやりやすくなる。よって親・保護者が目指すものは(1)~(3)の能力開発を子供に行うこと、と集約される。これなら案外何とかなりそうだ。
「男性性と女性性」に拘るのは、小泉八雲の影響
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンという文学者がいる。彼は1890年に記者として来日し、英語教師を務め、途中で日本女性と結婚した。日本の伝統的精神や文化に興味を持ち、多くの作品を著し、日本を広く世界に紹介した。有名なものは「耳なし芳一」だろう。
私は心霊現象には3回ほど遭遇していて、この世に「この世のものでないもの」が存在していることを知っている。信じているのではなく、知っている。もちろん、科学や科学的精神や科学的思考は尊重するが、科学万能の風潮は好きではない。信心深い祖母の影響もあるのだろう。
だから小泉八雲の作品は幼いころから大好きで、中学生になった時に、小泉八雲の作品がほとんど載っている「怪談・奇談」という本を手に入れて、何度も読み返した。
まだ続く。