以下勝手な私論だから、あまり気にしないように

若い人が選挙に行かない、若者どころか全体の投票率が上がらない、なぜだ?という疑問と、マイナンバーカードの登録者の数が増えない、なぜだ?という疑問に対する答えは同じだと私は考えている。そしてそれに対する効果的な対策も、極めてシンプルなものも考えてある。

少し歴史的な事実を確認しておく。試験にも出るかもしれないし。
戦前の総選挙は、選挙権が男性にしかなかったから、あまり参考にはならないかもしれないが、それでも大体80%の投票率だったことが帝国書院の教科書資料集などからわかる。国政レベルでの女性参政権が認められた戦争直後の1946年から1991年平成2年まではまだ70%代だったが、1994年平成5年に70%を切ってしまい、1995年平成7年の阪神大震災の後、1996年平成8年にはとうとう60%を切って59%になってしまった。

「民権ばあさん」という人もいた

今「国政レベルでの女性参政権」としたが、明治時代に、高知県のある村では、後に「民権ばあさん」と呼ばれる人物の主張により、自治体レベルだが女性参政権が実現している。ぜひ「民権ばあさん」で検索して欲しい。もっともすぐに国から横槍が入って、自治体が勝手に参政権を設定することは禁止、とされたが、戦前にも「一時的だが存在した(ただし戸主に限るところが残念)」という事実は、教科書にもきちんと書くべきだ。なんかいかにも「GHQ=アメリカ様のおかげで日本にも初めて民主主義が導入されました!」という雰囲気がぷんぷんして嫌な感じがするからだ。

投票率はいつごろから落ち始めたのか

話は元に戻る。
2009年平成21年には自民党から民主党への歴史的な政権交代があり、期待した人が多かったのだろうか、その時は投票率が69%に持ち直した。しかし官僚を排除してしまった結果のもたもた振りや、2011年平成23年に起きた東日本大震災での対応があまりにも後手後手だった失望感からか、2012年平成24年の年末の総選挙では投票率59%の「まだましか」の判断で、民主党から自民党に政権が復帰した。しかしその後の自民党政権もあまりパッとしなくて、2014年平成26年の総選挙では57.66%、2016年平成28年では史上最低の53.68%になり、今回の2021年令和3年の総選挙では戦後3番目に低い55.93%だった。


帝国書院 統計資料 歴史統計 衆議院議員総選挙の定数、立候補者数、選挙当日有権者数、投票者数および投票率

総務省 国政選挙における投票率の推移

疑問の答えは2つあると考えている

1つ目は政治結果の恩恵をそれなりに受けている人が、国民の過半数を超えるぐらいになったため、「何が不満かわからない」状態になり「今のままで十分生きていけるからこれでいい=特に変化を望まない=選挙に行かなくても、別に自分の身には何も起こらない」と考えるようになってしまったことが原因だ。つまり危機意識の希薄さと自己との一体化がなされてしまった。ただしこの状態が絶対的に悪いというわけではない。むしろ政治はそれを目指したのだから。

高校で漢文を勉強した(させられた?)人ならたぶん、「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」と呼ばれる十八史略の中にある有名な一節に接している。自分の政治を意識させず、国民が豊かな生活を営むことを実現できている事実を、身分を隠して、夕方に大通りを歩いていた伝説の帝王・尭は知った、という文だ。「鼓腹撃壌」で検索すればいっっぱい出て来るはずだ。

まあ良い方向に進んでいるなら、「鼓腹撃壌」でも構わないのだが、今の日本は格差社会が静かに形成進行中だ。その格差も非常に少しずつ進みつつあるため、多くの人に見えなくなっている。ある日気が付くと、大きな差が付いているかもしれない。情報統制も密かに行われているし、それは見事なくらいだ。これはまるで地震の多発する地帯に住みながらも「自分の住んでいるところは、自分の生きている間は地震は来ない」と思い込んでいるのに似ている。

2つ目は「今の政府は信用できない」と基本的に考え、感じていること。これは1つ目と矛盾するように見える。しかし「信用していないから、こちらから何もしない方がいい、リアクションが怖いし、相手が大きすぎる」と考えれば整合する。例えば自分の住む部屋の隣人が、どう見てもヤバい奴なのだが、変に関わり合いになると、もっと危ない目に遭うかもしれないから、何もしない場合に似ている。

しかし放置しておくのは大変危険であることは、わかると思う。