「小国が大国にどうやって対抗し防衛していくか」

私が今ウクライナ侵攻問題で考えていることは「小国が大国にどうやって対抗していくか、どうやって防衛していくか」という課題です。

不幸にも今までの人類の歴史は、大国の勝手な論理によって戦争が始まり、結果として小国が飲み込まれ、文化を失くして滅亡していきました。その挙げ句の果てに第2次世界大戦があり、その反省として国際連合が生まれ、国際法が整備され「国際秩序を遵守する」という目的が人類社会に掲げられました。

具体的には「無法の力によって現状を変更することはだめだ」ということです。

戦後も同じことが繰り返されてきた

そのたびに国連で会合が開かれ、多大な時間を使って修正が図られてきたのですが、中々うまく行かない。特に核保有国は国境付近にいる自国民保護やら、資源保護やら、自衛権の発動などの目的で、主に近隣諸国を攻撃し、現状を変更してきました。古くは朝鮮戦争、新しくはアメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争です。

今回アメリカは「主権侵害だ!」と叫んでいますが、どの口で言うのか、恥ずかしくないのかなとは思います。自分たちだって「大量殺戮兵器をイラクが持っている!」と決めつけて侵攻したじゃないか、と。そして「民主化ドミノ」理論で中東を民主化しようとして大失敗してます。彼らはベトナム戦争でも「共産主義ドミノ」が起きるから、ベトナムで止めるという理屈で介入し、泥沼になってしまいました。

世界はちょっとだけ変化した

戦後70年、色々と世界は変わっていきましたが、残念ながら、大国が相変わらずアホなのと、侵略される小国の方は堪ったものではないことは変化がないです。

しかし世界が今までとは変わってきた部分は、経済がグローバルになってきていること=世界恐慌以来どこかの国がコケルと、それが世界に波及する程度が大きくなっていること、ヨーロッパが一つの経済圏になり、ユーロという新しく強力な通貨があること、そしてインターネットの発達によって、情報のやり取りが双方向で、個人が目の前の出来事を発信しやすくなっていることです。もちろんフェイク・ニュースもあるでしょうけど。またテレビ放送がデジタル化されたことで、速くなったと同時に、ハッカーなどが侵入しやすくなったことです。

これらの変化をフルに使って、「国際的な秩序を力で破ろうとしているロシア」のウクライナ侵攻を、何としても止めなければ、帝国主義の時代に逆戻りして、3000万人以上の人々が第2次世界で死んだ理由がかわからなくなってしまうでしょう。その中には私の親戚もいます。過去の事は後で問うとして、アメリカにも頑張ってもらわなければなりません。

台湾問題が目の前にある日本

もちろん台湾と中国という大問題を近所に抱えている日本は「対岸の火事」だなんて考えていてはいけないのです。ロシアと言う時代遅れな価値観を持つ国が、北方四島を返還してくれるわけがないと、これで思い知ったでしょう。今現在、不当な侵略を受けているウクライナの人たちには不謹慎に聞こえるかもしれませんが、いわば本番前の予備演習みたいなもので、真剣にウクライナ問題に取り組まなければいけません。

何しろ「日本は戦争をして勝てるのか」というブログ記事内で主張しているように、日本は軍事的には現状において小国で、30年も給料が上がらない貧乏国になりつつあるので、中国からしたら完全に経済的にも小国です。その国がどれだけ「台湾侵攻」という有事に対応できるのか? 台湾侵攻をするのなら、同時に必ず尖閣諸島も手に入れるはずですから、事は台湾だけの問題に留まることは決してないからです。

万葉集の防人の歌を思い出す

国際政治の苛烈さとドライさを真正面から捉え、同時にルソーの唱える民主主義の真の意味から目を逸らすことはやめなければな、学校でもちゃんと教えて欲しいな、と今考えています。最後はちょっと真面目な結論になってしまって、少し恥ずかしく思います。

お父さんが祖国防衛に向かうために、離れていく姿を見て泣く子たちや、夫や恋人や息子、兄や弟を心配する女性たちの、ウクライナからの映像が目に入ると、

韓衣 裾に取りつき泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして
防人に 行くは誰が夫と問ふ人を 見るが羨しさ 物思ひもせず

という、万葉集の「防人の歌」を思い出すのは、私だけではないと思います。