水分の過剰摂取は冷えを招くが摂らないわけにはいかない

当時はまだ体のことは科学的には解明されていないことが多く、以上の2つはすべて体が資本の、格闘技者やスポーツ選手が自分の経験から得たものだ。

でもどれも現代の理窟には適っている。体の冷えは、体内の余分な水分から起こるものであり、体の冷えはすべての不調につながる。筋肉は水分の大切な「貯水池」でもあるが、そこが氾濫しては「洪水」になるのである。栄養バランスも大切だが、夏場は身体中の水分管理がどうやらポイントだな、と思った。

大相撲で幕内力士や、栄光の巨人の一軍でレギュラー投手や野手を務めるような人たちと、一般人の私では身体能力に月とスッポンほど差があるだろうが、内臓や筋肉の生理的造作にはそんなに違いがあるわけではないだろう、これらの方法を真似ることには大きな意味がある、と考えた。

そこで私も、30才半ば過ぎたあたりから、夏も冬もほうじ茶を沸かして、それを冷蔵庫には入れないで、部屋の中に放置したままのぬるい状態で飲むことにした。夏場は冷たいものをできるだけ避け、さらに残念だがアルコールも夏場は自制することに決めた。もっとも冬場には深酒をしても良いということにはならない。さらに冬場と夏場で、自分がどれぐらいの水分を摂るかの差も観察することにした。

朝は暑いから放っておいても早く起きるので、掃除をするとか何かして朝のうちに汗をかききってしまうようにした。今は犬の散歩もあるから余計汗だくである。すると尾籠な話だが、トイレにも朝に2回~3回行くようになったし、脳に溜まった昨晩のアイデアも、翌朝になればより洗練した形で排出される。まさに朝は「すべて出す」ための時間だな、とも感じている。

朝の間、お茶や水はたぶん合計で1Lぐらいは飲んでいるだろう。9時過ぎには汗もひいてしまって、夏期講習の朝の時間帯の授業に間に合うように、今では体が習慣付けされている。

そのせいかなのか、御蔭なのかはわからないが、特に運動などもしていないのに、なんとか夏も毎年乗り切ることができている。ただし今年からは少し体力改善も考えている。

不愉快だが「熱中症」という言葉に出会う

次に気を付けたのが「熱中症」だ。
私がこの「熱中症」なる不愉快な言葉を聞いたのは1999年の夏、兵庫県川西市の中学校で中学1年生の男子が死亡した「川西市立中学校熱中症死亡事件」だった。お父さんの宮脇さんは今も積極的に発言と活動をしておられる。

―川西市立中学校熱中症死亡事件 先生は僕らを守らない-子どもが死んだら、あるいは、大きな事故が起きたら、一週間、休校にすればいい


しかし、今思い出しても、下品な表現で申し訳ないが、胸糞の悪い事件だった。あれは決して事故ではなく、事件である。

昭和だろうが平成だろうが令和だろうが、夏はまた来る。今だから言えることもあるので、もう一度振り返ってみることに意義はあるだろう。しかしホントに副題の通り「先生はぼくらを守らない」の印象しかない事故であり事件で、祖母がよく言った「お上はあてにならない、責任を取らない」が身に染みた出来事だった。まさか身近に起きるとは思わなかった。

当時、当塾にはその中学校のラグビー部員である生徒が4人在籍していて、しかも間の悪いことに中学3年生だった。事件が起きてから、野次馬根性丸出しで、事情を根掘り葉掘り聞くのは嫌だったから、自分からはたずねなかった。でも私には気を許していた彼らがボツリボツリ教えてくれる概要を聞いていると、予想していた通り、顧問教師にかなり責任があることがわかった。

また少し続く。