最近の教科書は親切なのだが

もし東京書籍や数研出版が出している中学生用の数学の教科書で、しかも1年生用のものが、見れる環境にあるなら、文字式や方程式、比例・反比例などのページをよく観察してもらいたい。すると、項を交換する方程式の解法があったり、分数係数の方程式の解法が紹介されている。そして、薄い緑色の「ノート」みたいなものに、手書きに見えるフォントで「こう解きますよ」と、ご丁寧に「見せて」ある。

最近の教科書は本当に丁寧になっている。私が子供のころとは大違いだ。大切に育てよう、という愛情があふれていて、うらやましい限りだ。

問題はこの後だ。
ここで、ご子弟のノートを覗くとか、実際に解かしてみるなりして、「どう解くか」はもちろんだが、「どう書くか」にも注目しなければならない。計算力がない人は、たいてい1行あけることなく、そのまま下に次の行を書いていたりするし、ひどい人は「横」に式を書いていることが多い。

そして分数を使った問題では、ノート1行の罫線内に分数を入れ込んで、結果的に、すごく小さい字で書いていることが大半だ。このような書き方をしている人は、文字が小さいために計算間違いをする確率が高くなって、そのため、あまり数学の成績は良くないはずだ。

分数を書くときに一番違いが現れる

これらの教科書は啓林館と並んで「メジャー」なものだから、ほとんど誰でも同じものを見ている。しかし分数を使う式の「書き方」で、ノートを下敷きにした形式で、分数を分母と分子に1行ずつ取って、2行で書いていることに気が付いていないのだ。

また自分でもなぜ計算間違いを繰り返すのか、原因がつかめていないケースも多い。すべては字が小さいためだ。あまり大きすぎても困るが、ある程度、字は大きくないと書いた自分が読めない! などということもある。「字が小さいと、点数も小さい」という典型例かもしれない。

ただし「初めて」教科書がこういう書き方を紹介しているのなら、気が付かなくても仕方がないかもしれない。でも方程式やら比例・反比例、あるいはもっと最初の正と負の数でも同じような書き方を紹介している。そろそろ気が付いて欲しいのだが、やっぱり気が付かない人は気が付かない。

ノートが大学ノートに変わったからかもしれないが

ノートをきれいに書こう、とはよく言われる。でも無理に美しい文字を書くことまでは不可能で、要求できないし、私自身も悪筆の方だから人のことは言えない。しかし、計算に関しては「分数を書く時には2行に書いていいし、そう書くようにしなさい」をまず徹底させた方が良いだろう。

と言うのも、小学生のときは、四角ますのノートに書くことが多いが、中学生ともなれば「大学ノート」に切り替わっていくのが普通だ。その方がなんだか「大人」になった気がするし。その時に分数をどう書くか、を指導されていない人が多いのだ。

せっかく教科書が「こう書くとわかりやすいですよ」と絵で紹介までしてくれているのに、全然気が付かない人は、まさに「非認知能力」が磨かれていない、となるだろう。ノートはバージョンアップしたが、肝心の本人がそうなっていない。また教科書を読む・見る習慣がついていないこともあるし、学校では先生の作るプリントで済ませているため、教科書を開けたことがない、という人もいる。なんのための教科書なのかわからなくなる。。

小さい字で分数を書かれたら採点する方も大変だ。

もっとも分数の書き方が「非認知能力」の要素かどうかは、本当はわからないが、「コミュニケーション能力」の不足にはなる。皆同じものを見ているのに、吸収力が少ない=本とコミュニケーションが取れていないわけだ。

試験の時は「紙に書かれた文字」だけがコミュニケーション手段だ、ということを自覚させるべきだが、親や保護者がそれに気が付いていない場合もある。

「相手のことを思いやりましょう、自分がされて嫌だと思うことはやめましょう」と小学校で再三言われているのに、全然実行していないことになりはしないか?

また分数で思い出したが、「3分の1 a 」をどう書く=どう描くかも小さいことだが、大切な事だ。これを下のように書いて平気な人も「コミュニケーション能力」の不足だろう。やはり矢印の右のような形で、きちんと書くことも、指導者は注意しなければならない。

このようにあらゆるところに「非認知能力」のネタは転がっているわけで、そのような観点から中学生を見ていると面白い。やはり具体的な「精神的成長」が問われていく場面でもある。

30才が33才になっても、少ししわが増えたり、腹や白髪が出るぐらいで、あまり変化はないだろう。でも12才が15才になる3年間は、ホントにモノスゴイものがある。「中学生になったから」とあまりに自由にさせては絶対にいけない。もちろん締め付けすぎても良くない。

ぜひ乗り遅れたりしないように、保護下にあるご子弟の「監視・指導・介入」をためらってはいけないのだ。まずノートを点検してみてはどうだろうか。