私は嫌いなのだが

今更ながら思うのだが、この「新学力観」という方針は、あまりにも現在の教育のありかたに、マッチしているのではないか、と。イラク戦争以来、巷は自己責任論が主流だ。自己がないと責任は取れないから「武士の侍」「馬から落ちて落馬する」「頭痛が痛い」と同じで二重に表現している気がするが、まあそれは置いておく。

学校の教師がしつこく、口やかましく指導しなければ、学童はおそらく細かいことまで気を配らないだろう。そこを「自主性」の美名で覆ってしまうと、最終的に「するかしないか」の決定は学童任せになり、めんどうな言動をする人は放っておいても、公教育にあたる教師の責任ということにはならない。

他塾は「適性検査」としての入塾テストがあるから、その段階で「ダメだな」と判断したら入れないから、玄関口には来ても、指導の対象にはならないので「出会う」ことはない。しかし私は「取り敢えず誰にでも可能性はあるから」の理由で、指導してしまうお人好しである。

現実に当塾には、6年生にもなっているのに、自分で割り算ができません、と告白した学童も入塾してきたこともあるし、これもどこかで書いたが、カタカタが書けないとか、「放火」という単語をしらない中学生もいた。

でも小学校では「この子は大丈夫です」と懇談で言われていた、というのだから驚きだ。どこを見て「大丈夫」と言っていたのだろう、担当の教師は(・Д・)。

一皮むけば悲惨な現状があるここ20年ぐらいの公教育の「負」の面は、嫌と言うほど見てきた。教育の放棄とは、将来ある子供が「学習的に死亡」していく、ある意味「大虐殺」の場面でもあるなあ、とため息をつきながらであるが。学校がそうであるなら親や保護者がしっかりしないといけない。

親・保護者も忙しい

「セット」だった「終身雇用と専業主婦」が喪失しつつある現代日本では、共働きが当たり前で、前提でもある。つまり親は忙しいので子供にかまっているヒマは、以前より少なくなっている。もっとも「終身雇用」というのはたまたま高度経済成長期にできた一時的な制度にすぎない。

子供の方は、栄養ある食料品の流通と、ネット社会の普及で一見「オマセ」な人が増え、すぐになんでも入手できる、という錯覚に陥っているし、社会全体も「なんでもすぐに解決」を謳い文句にしている。このような時代に「時間をかけてじっくり問題取り組む」ことは、相当先見の明を持ち、恵まれた環境がある人でもない限り、無理だろう。

将来の日本は「自己責任」「忙しいからなんでもすぐに」の時代になることを見越して、結果的には学校教育の責任軽減になる「新学力観」を1989年に制定したとするなら、当時の文部省関係の人たちは慧眼だったと言える。

1985年に円高誘導の「プラザ合意」があって、日本の製造業は大打撃を受けた。結果、東南アジアへの工場移転があり、技術や頭脳は流出し、オイルショック以来の国内での経済成長は止まった。バブル崩壊となる1989年には、有名なかの「天安門事件」があり、国際社会から孤立した中国を「救う」ために、今こそとばかり中国権益を歴史的にず~と狙っていたアメリカは、日本をそそのかす形で、「天皇訪中」を実現させバブル崩壊で苦しむ日本は、第2次世界大戦以来の中国再上陸を経済的に果たす。

日本も中国権益を潜在的に狙っていた、諦めていなかったということだ。
ただし第二次日中(経済)戦争の始まりでもあり、性懲りもなく「底なしの沼」に再び足を突っ込んだことにもなるのは現状を見ればわかる。クリントン大統領時代に「ハイウェー構想」で、コンピューターネットワークを構築したアメリカは「株式市場」をネットワークに乗せることに成功し、「すばやい利益追求」を可能にする。

こういう時代に60年代~80年代に取っていた「皆を守り育てる古き良き時代の護送船団方式」による学校教育の在り方では、急速に進化する世界に通用する人材を養成できないし、時間もない。

邪推している

そこで「自主性」を持つ人を育てる、という名目で、結果的には、自主的にやらない人は切り捨てる、という方針に転換したのではないか?と邪推している。そして、本来その気がなかったとしても、時代に合致していて、結果オーライで、Good job.となってしまったかもしれない。

今回の英語新課程はまさにそのまんまではないか。「自己責任」で気が付かなかった親や保護者が公立中学に入学して、ようやっと気が付いた時にはかなり遅れてることになっても自己責任で、制度を設定した国の責任は問われない。忙しい時代にのんびりやっていられるか、と言わんばかりだ。うまくしたものだな、と感心している。

しかし信頼するべき対象である公教育の方針が、無条件で信頼できない状態というのは、まともなのだろうか、最近特に疑問に思っている。終戦半年前にニューギニアで夫が戦死して、未亡人になった祖母は常々、私に「お上の言うことは信じられない。いや(天皇)陛下のことは信じられるが、その周りにいる人たち(つまり政治家やお役人様)は信じられない」と言ってきたので、私も知らぬ間に洗脳されているのかもしれない。

しかし阪神大震災、東日本大震災の原発事故とその後の復興計画、薬害エイズ事件、そして今回のコロナ騒動に始まるワクチンの「接種強制」など見ていると、とてもじゃないが信じられないのである。これからも、とんでもない時代になっていきそうなので、それを前提として学習指導にあたらなければいけないなと、気を引き締めているところだ。