悪い点数を取って気持ちいいか?

ちょっと話は逸れるが、私は「将来のために勉強しておこう」とはほとんど言わないことにしている。高い希望と明確な目標を持っている人には有効だが、そうでない人には無効どころか有害だからだ。

特に今現在、目標を持っていない人には
「悪い点を取ってもなんとも思わないならそれでいいが、気持ちが悪いと感じる気持ちに正直に向き合うべきだ。それを少しでもなくそう。部屋が散らかりすぎたら危険なのと同じだ。日にちと種類を分別してごみ出しをするように、計画を立てて、勉強してみる。そしてそれでもだめだったら、あきらめてもよい。世の中は勉強ができない人もいるし、がんばってもだめな場合もある。でもそれで人生終わるわけではない」と正直に呼かけることにしている。

将来のことなど誰にもわからない。
震災が襲来して死ぬならまだしも、不慮の事態に遭遇し、年齢に関係なく、死ぬことだってある。健康のためにジョギングをしていて心臓麻痺を起こしたり、長寿を祝う餅をのどに詰まらせたり、ルールに従って歩道を歩いていても、そこに横合いから車が突っ込んできたり、建設中のビルの下を歩いていたら鉄骨が落ちてくるなどして、こちらに不備が全くないのに、不運不幸にして死亡する例などいくらでもある。

いつの記憶かはもはや不明だが、ある知人が、当時小学2年生の妹が、下校の際に交通事故死してしまったという、大変気の毒な経験を、中学生の時に持った。彼は「朝元気に出かけて行ったのに、夜、病院から家に帰ってきた妹は、すでに冷たくなっていた」と言っていたことが忘れられない。

まさに、蓮如上人曰く「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」だ。

今の不快感を取り除くことだけ考えたほうが健康的だ

だから中学生にも
「明日、いや今日の帰り際に死ぬかもしれないから、将来のことはおいておく。それより、今、現在の勉強の具合に関して、気持ちがいいか、親に叱られて気持ちがいいのかどうか、正直に考えるべきだ。その気持ちに正直に、なんとかしようとして今の状態を脱出してもらいたい。その手助けならできる」と言うことにしている。別に愉快不愉快を基準にしてもいいではないか?

私にとっての「キセキの世代」のような人たちは稀だ。似たレベルの人もごくたまに来るが、たいていはあまりできないから、塾に来るのであって、よくできる人が来るわけがない。でも客観的には「できている人」で、塾に来るなら、それはその人の達したいレベルには達っしていないから、本人的には「できていない」のだ。つまり「できないから来る」という点では同じである。
だから修練を怠るわけには、私はいかない。

このテキストは「不愉快な気持ちを取り除こう」「できないと思う気持ちは、できる人もできない人も同じ」、この2つの気持ちから作った、という面も大いにある。

将来英語が本当に必須になって、英語が話せないと、仕事もない、という事態がくるかもしれない。それはつまり日本という国が、英語圏、つまりイギリス・アメリカに完全に組み込まれて、フィリピンみたいになることを意味する。

しかし中国がアメリカとの覇権争いに勝利し、アメリカが完全に没落して、日本は中国に飲み込まれ、中国語が必須という事態になることも可能性としてはあるから、その時は英語を勉強していても無駄になる。全く無駄とは言わないが、中国語を勉強しないといけなくなるのは確実だ。

そんな未来のことが、私にわかるわけがない。
また続く。