つまりは愚痴なのだが

期末テストが終われば、新入生さんたちも後少しで夏休みだから、なんとか乗り切るぞ、と思っていると信じたい。

で、ここ2、3年の間、新中学1年生を見てきた感想と、小学校の先生に対する指導で、もの申し上げておきたい部分をまとめておこうと思う。つまりグチである。面倒なので「ようだ」という推測の言葉は入れていないが、あくまで私個人のここ数年の感想にすぎないことをお断わりしておく。

①よく考える前に自分の意見を言いがちな人が多い

今まで日本人は自己主張が弱い、とされてきた。だから子供のころから積極的に自分の意見を発表することに慣れていくべきだ、という教育的主張が主流になり、黙っている生徒より、とにかく自分の意見を「言う」人が高評価を受けるようになった。

これはこれで良い事かもしれないが、悪い面もある。

とにかく自分の意見を発表しなければならない、という強迫観念みたいなものに捉われてしまい、あまり考えることなく自分の意見を言ってしまうことが多くなっている。「意見を言う前に、まずは自分で考えよ」と諭して欲しい。

② 人の意見を聞いていない。

これは①の表であり裏でもある。
小学生や中学生が、自分の意見を考えて発表しよう、というのは大したことだとは思うが、そもそも、どうやって考えるのだろうか。

あまりたくさん本を読んでいるようには見えないし、新聞の政治欄や社会欄に目を通しているとも思えない。そして仮に読んでいたり、目を通していたりしても、それらから直接に自分の意見を引き出してくる、というのは大学生でも難しいのではないか?

もちろんデキル教師なら、そんなことはお見通しであって、教師側から考える材料を提供してから考えさせる。しかしここで①の習慣がじゃまをするのである。また①の習慣が身についてしまっている生徒は、国語力がたいてい弱い。

だからせっかく教師側が用意した資料を読まずに、自分の意見を発表することになる。ただし読むのが苦手=国語力がないから、とりあえず自分なりの意見を発表しているだけなのか、それともとりあえず自分なりの意見を発表していることを繰り返しているうちに、国語力が無くなってしまったのかは、不明だ。

どちらにして、小学校の先生は、まずは資料をじっくり読み、先生の解説を聞くことから指導をするべきなのだが、どうも最近その動きが弱いように見えて仕方がない。

社長サンの職場朝礼の話題や、おばあちゃんの知恵袋、あるいは年寄りの繰り言ではないが、
「目と耳が2つあって、口が1つなのは、まず人の話をよく聞くためにある」

と小さいうちから、キチンと諭して欲しい。

③過剰な自尊心を植え付けていないか

自分を大事に、大切にするのはもちろん重要なことだ。しかし勉強や学習に対してこれを大量に持ち込まれては、進歩がない。誰でも「できない」から勉強したり、人にたずねたりしているのだ。つまり生徒とは、アホな存在だ、と自覚することから始まる。もし賢かったら、生徒ではなく教師になっているだろう。

冗談ではなく、生徒から教師あるいは教授にピョンとジャンプした人は実在した。万有引力の法則の発見者で有名な、アイザック・ニュートンだ。彼の恩師バローが老齢を理由に教授職を辞する際、学長に「後任は誰がいいか」と尋ねられ、「彼しかいない」と推薦したからだ。

ニュートンは、弱冠27歳で天下のケンブリッジ大学の教授職に就いたわけで、日本で譬えるなら、東大の院生だった生徒が、ぴょんと東大の教授職になってしまったようなものだ。実在の人物では、当時、恐らく史上最年少で、もしかすると今に至るまでも、破られていない記録なのではないか?

次に続く。