高校生は形容詞節に弱いことがいつでも言える

少し繰り返しになるが、先だってブログで上げた
The people I met yesterday was very kind to me. の和訳は「私が昨日出会った人々は私にとても親切にしてくれた」になるのだった。

首尾よく高校受験を終え、晴れて高校生になったのに、なぜか英文和訳がうまくいかない人は、不定詞とこの形容詞節の修練が不足しているのではないか?と疑ったほうがよいだろう。

うまく行かないアナタは the watch my father bought for me を平気で「私の父が私のために腕時計を買った」と和訳していないか?
あるいは、誰にも指摘されずに「父が私に買ってくれた腕時計」と自分で気がつけたか?

正誤問題で the house the writer lived in for five years とある文を「前置詞が2つ並ぶことはないから、これが間違いだ」と選んではいないだろうか。

元々英語が苦手で、合計点が良かったから合格できた、という場合は仕方がない。でも、英語は得意だったのになあ~という人が、高校でイマイチ振るわない場合は、色々弱点はあるだろうが、まずは形容詞節を練習しなおした方が良い。

なぜこんな事態になるか?

高校入試が迫ってきて、他科目に力を振り分けていたため、英語にかける力が相対的に弱くなったからだ。そしてまさにその時、この形容詞節を勉強している時期が、2学期期末テストの範囲だ。

その後、勉強しなおせば、まあ大丈夫だったかもしれないが、時間がどんどん切迫していてそうもいかず、弱点であることを忘れたまま、高校生になり、5月ぐらいに気が付く、ということになる。で一体自分はいつこの形を勉強したのか、と探ってもみれば、去年の11月だった、でびっくりする。

困ったことに、高校の参考書も形容詞節を大きく取り上げていない。まだ FOREST がわざわざ1章を割いて説明してくれているから救われるが、そもそも twitter などで短い文しか読むことに慣れていない現代の若者が、ここまでキチンと読んでいるのか、というと、どうかな~とは思う 。

だからこそ指導者が、日頃から口酸っぱく訴え続けないといけないのだが…

私にとっての「キセキの世代」の人たちでも、形容詞節が苦手だった。1980年代後半から1990年代半ばまでの10年間は、日本経済は「バブル崩壊の失われた10年」と呼ばれているが、逆に学力はピークに達していたし、センター試験の導入で却って、受験熱はあがり、人も多かったから、自然に競争が激しくなったし、学校の先生たちも中々の人材がまだ残っていた。

そんな環境でも、克服するのにかなりの時間を割いた記憶があるし、その後の、まあまあできる高校生たちもそうだった。結果良くできるようになったのは嬉しかった。

現在の高校生を対象にした調査で「高校3年で中学3年間の英語をよく理解している人が50%、高校全体レベルの英語は30%」という数字がこの前、文部科学省から出たのは、記憶に新しい。ゆるく、甘やかされている人が大半の、今の中学校で、形容詞節を半分でもわかる人がたくさんいるとは、あまり考えられない。大丈夫だろうか?

VITALs では形容詞節をかなり強く押している。

関係代名詞もそうだ。もし時間ができたら、「二重限定」まで説明する節を付け足せたら面白いな、とも考えている。私たちが高校生の時は、普通にそこまで行ってたし、知っていれば、英会話で幅が広がらないか?
the persons that I know who have been to America
「私の知っている中でアメリカに行ったことがある人」なんて言えたら楽しいし、カッコイイだろう。