学校の先生の「ポジション」をよく観察してみよう
実は学校での「先生のポジション」が入試の重要性に関連して反映しているなあ、といつも考えている。
一般的な学校、ここでは中学校に限るが、校長・教頭先生や学年主任さんから、一番信頼を受けているのは、恐らく、国語担当の先生の場合が多いはずだ。そうでなければ社会担当の先生。この2教科は「基礎の基礎」を作るわけだから、信頼できて、経験豊富な先生でなければ、生徒が困ってしまう。逆に体育祭などの号令かけとかの「体力仕事・憎まれ役・汚れ仕事」では、体育の先生の独壇場だ。
次に生徒から案外ウケが良いのは理科担当の先生。理科は「おお!!すごいな~」と思えることを知ることができる教科だし、色々な分野があって「ここなら頑張れる!」ということが多いから。
英語の先生は案外に立場が弱そう?
その点、英語担当の先生は微妙な立場だ。
英語は人生において確かに必要になる可能性があるが、中学ぐらいでは可能性でしかないから本腰を入れるところまでいかない。
また必要と不必要と、好き嫌いを混同する年頃である中学生は、単純に「できないから嫌い」とか「できるから好き」の場合もあるし、「できないけど好き」「できるけど嫌い、あるいは関心がない」という人もいる、玉石混交のカオス状態だから、特に英語の先生はやりにくいだろうな、と思う。
英語の教える内容そのものも、入試に出る・出ないと機械的に振り分けて良いものでもないから、その点でも大変だな~と私なんかは思う。英語の歌を覚えても、入試にはあまり影響ないし。
数学の先生は「余裕」に見えるのはなぜ?
で、孤高の態度で、人によったり、時によったりして、冷たく見える数学担当の先生だが、なぜかいつでも「最後は、俺だろ? (あるいは) 私でしょ?」の余裕の表情であるのは、入試の実情、数学という教科の「地位」があるからではないか?
「数学ができる・教えることもできる」というのは、NARUTO の「血継限界」、血界戦線の「血闘術」、ヒーローアカデミーの「個性」に等しい「特殊能力」だから、貴重な存在だ。塾の先生でも同じで、多くの生徒が苦手にするのが数学だから、入試前にやっていることと言えば、ほぼ数学ばっかりで、数学をうまく教えることができる担当者は、おそらくひっぱりだこに違いない。自慢ではないが私もその一人だ。
私が高校生の時も、大学入試問題で質問攻めになるのは、まず確実に数学の先生が多かったし、当時はゆるい時代だったから、放課後に数学の先生を囲んで、皆で入試問題を解いている風景も良く見た覚えがある。
数学が最後の難関になる
英語や国語の先生は、入試前になると閑な事が多そうだ。単語や漢字は自分だけでも覚えることはできるからだ。しかしムズイ・あるいは苦手な分野の数学の問題は、自分1人で解決するのは無理だ。そして入試で差が付くのが、数学の出来具合であることはず~っとそのままだ。
世の中は英語英語と草木もなびくのだが、この時点まで来ると、高校入試、特にレベルの高い公立高校の入試の成否を決めるのは数学だな、と痛切に感じる。逆に言えば、入試間際の時期に、英語や他の科目に手間取っているようでは、かなり危ういことを示す。前ブログで述べた「エースと対決できる状態にまでもって」行かなければならない。
で素朴な疑問として「なんで数学を勉強するんですか、こんなん難しいのに、ブツブツ…」とよく生徒に質問(文句や愚痴に等しいけど)されるのだが、私なりに2つの解答を用意している。
まだ続く。