細かいミスが癖になってしまっている

なぜ「生徒がやるミスを網羅した基本書」を作ろうとしたのか。とにかく細かいミスが多いからだった。これはもちろん昔も今も変わっていない。

鉄は熱いうちに打て。
三つ子の魂百まで。
雀百まで踊り忘れず。

他にもあったかもしれない。とにかく「初期の教育の大切さ」を訴える格言やらことわざは多くある。しかし英語の勉強ということについては、これらを無視か、軽視しているケースが入塾してくる生徒の中で増えてきたからだ。むしろ全く英語の勉強をやったことがない、という人の方が素直に伸びているから、面白い。

逆説的で誤解されることを恐れずに言えば、「小学校から英語を学習する」人が増えてきたからではないかと考えている。

つまりいわゆる小学生用の英語塾に通っていて「ボク英語知ってるよ」という場合に、とにかく細かいミスが多いのだ。What と What’s を同じように使ったり、Yes, It is. など大文字にしてはいけないものを大文字にしていたり、teacher を teachar とし、guitar を guiter して覚えていたりなど。上げるとキリがない。

かと言って細かく注意するのも

中学校のテストならすべて減点か、無得点だ。だから、当然こっちは「それは間違いです」と何度も書き直しを命じることになる。素直に応じてくれればよいが、「そんな注意は受けたことがない。キミは良くできている、と褒められていたのに」とプッと膨れたりする。プライドを傷つけられた、と感じるのだろう。

やれやれ、その塾の先生、何をしていたのかなと思う。まあそんな人でも、中学の定期テストで、何回か低い点や、大量減点になると、さすがに反省するようだ。落ち着いてやれば100点を余裕で取れる能力を持つ人がたまたまオッチョコチョイさんで90点になった、ならまだ良いが、頑張っても今は70点ぐらい、という人がオッチョコチョイさんだと、60~50点以下になってしまう。反省して「技術革新」「環境整備」「内面改革」に励めば向上するのだが、そうでない人は、回数を重ねるごとに、どんどん点数が落ちる。

恐らく原因は2つ

なぜこんなことになるのか、私なりに考えてみた。
原因の一つは、小学校では英語のテストは存在しないから、まずプレッシャーがないこと。ある場合もあるが、真剣にやっているようには見えない。もちろん当塾の生徒が通える範囲にある小学校では、の限定だ。よく冗談で「締切がなかったら漫画家は漫画を描きあげない」という。好きでなった職業や商売でも、ワイワイ言われて、やっとこさ人様に見せることができるレベルに達する、という例だ。

するとプレッシャーのない場合では、細かいところまで気を配れ、はあまり期待できない。
テストなら英語検定があるじゃないか、と反論されるが、英作文問題は別として、最近はマークシート、選択式がほとんどで、「正確に書くこと」までを要求はしていない。そして本当に書くことを要求されるのは準1級以上だ。もし What と What’s 、That と That’s、teacher と teachar などの誤記を入れた選択肢を置いておけば、案外ころころひっかりそうだ。

もう一つの原因は、やはり対象が「子供」であること。子供たちは、英語塾には好きでいっているのかもしれないが、なにしろまだ子供である。あまり細かいことを注意すると、嫌になってしまうかもしれず、そうなると生徒が減るから、大目に見ているのだろう。塾経営と言う点ではわからないでもない。しかしそれでは指導者、とは言えない。せいぜい伴走者ではないか?

そのころから、薄々と、外国語の習得にはある程度の精神的な成長が付属していなければいけない、というのは真理だ、と私は悟り出していたことを覚えている。