いちいち注意するのは面倒なものだが

後々のことを考えたら、まさに先ほどの格言、 諺のように実行しなければいけない。最初は大目に見ても、本人に自覚が生まれてきたり、テングになってきたりしたら、厳しく注意した方がいいだろう。人は目の前にある大きな穴には落ちないが、目に見えないちょっとした凸凹に躓いて、こけて、大けがをするものだから。

特に男子生徒は注意が必要だ。ADHD でなくても、3、4年生から5年生ぐらいまで、落ち着きのある男子は本当に少ない。いつもチョロチョロ、キョロキョロしているし、観察力も育っていない。はっきり言って「犬か猫か猿レベル」の場合もある。

しかしこれは私が言ったのではない。同学年の女子児童の意見だ。元「男の子」だった私にとっては耳の痛い意見だった。第二次性徴を迎えて「女性」になった女子児童は、同年齢の男子児童が子供に見え、そのころから「男の見定め」は始まっている、と言っても過言ではない。実は女に選ばれているのに、男が女を選ぶ幻術にかかっていることを忘れてはならない。

脱線した。
一旦ついた癖を除去するのには、癖が付くまでかかった時間の倍はかかる。カルトの洗脳みたいなものだ。児童英語教育側でも「最初が肝心」なのがわかっているのなら、それを本当に実行してもらいたい。指導する側の意識が低い場合は、害になるだけだから、むしろ止めてくれた方が良い。その分を読書とか算数に向けて欲しい。

小学校や低学年での英語教育に反対はしないが、やるなら覚悟してやらなければならない。英語嫌いを生産するだけだ。結局それは中学に入ってから、数学や理科、社会の勉強のバランスを崩し、総合力の低下を招くだけで、そういう事例はお腹いっぱいに見てきた。そして英語ばかり勉強していて、数学力が落ちれば、高校でまたバランスを崩すだけだ。そうなると今度は取り返しがつかない。覚悟がないなら、やらないでほしい。具体的には細かいミスでもキチンと指摘し、見逃さず、場合によっては懲罰を加えなければいけない。

有名なことわざにもあるように

ムチを惜しむと子供を台無しにする。
Spare the rod, spoil the child.

英語大好きな English teacher なら、必ず知っているはずの諺をぜひ実行していもらいた。しかしそうしない人は多い。矛盾に満ちていて、中途半端で、不思議でならない。

そのため、できあがった VITALsシリーズは、中学1年生レベルがやたら詳しく、分量も多く、改めて自分でも驚いたし、編集するのにも、他の学年の1.5倍以上の時間がかかり、何回も作り直しをした記憶がある。2年生と3年生範囲はそれに比べれば、本当にすんなりできあがった。でも仕方がない。「最初が肝心」なのだ。

また「英語ができる人」から見れば、「そこまでくどくど伝えなくても」と思えるぐらい、くどくど情報を集めて、書いた。その際、今まで自分の前に現れて「そんなミスしますか?」と驚かせてくれた人たちのことを思い出しながら。これがまた、かなり楽しかったのも事実だ。