話は元に戻って

新課程の英語教科書の構造、特に「英文中の単語の正しい並び方」の紹介方法だが、現実の生徒、その辺に存在している「普通よりちょっとできない生徒=クラスの大半を占める人たち」を本当に対象としているのかは、大いに疑問だ。特に学校の授業指導だけで英語の構造が理解できる、という前提に立っているなら「確実に無理」と言えるだろう。

もし私が、当塾が、入塾テストを実施していて、ある程度の点数を取れている人を塾生に採用してきた経緯があるのなら、いくら主張しても説得力はない。しかし40年近く、入塾テストなしでやってきたので、「普通より少し下の、できない生徒」のできない具合を、それこそ隅から隅まで知っているこの経験値に勝てるものはない。

「当たり前ができない」から「普通以下」

まず英語の点数がよろしくない人たちは、「主語⇒述語⇒目的語」の順番になっていることが「定着していない」のである。そんな並び方なんか当たり前じゃないか、と思うだろうが、当たり前ができないから「普通より少し下」なのである。次に、英文にはもう一つのパターンである、「主語⇒等しいことを示すbe動詞⇒主語の説明語句」の文があり、「主語⇒述語⇒目的語」と併せて、2種類をまず使いこなすことが絶対に必要だ、という自覚が全くない。これを判定したいのなら、単語整序問題をヒントなしで解かせてみれば、すぐわかる。

次に「主語⇒述語⇒目的語」と「主語⇒等しいことを示すbe動詞⇒主語の説明語句」のどちらでも、これらを書いた後に「様子・場所・時間」の順番で「副詞的なものを並べておく」が身についていない。これも単語整序問題を解かせてみれば、単語を「日本語の順番」で並べていくから、すぐにわかるだろう。そんな「普通より下の生徒」が、1年の春から「本格的に」英語を始めて、大体、1年生の秋にここまで到達する。そして恐らくこのへんで半数がギブアップしている。しかも「三人称単数単数現在形」が登場するのがここからだ。後の得点は推して知るべし、だろう。

そうならないように小学校から「英語に親しむカリキュラム」を組んでいるのだ、と文科省の方々と、彼らに賛同する人たちは主張するだろう。だからこそ大本営陸軍部・海軍部の参謀連中と同じで、現実が見えていないのである。

人は動機がないと行動しない

その動機を生みのは、詰まる所「欲」だ。小学校から「英語に親しむ」のはいいが、その知識を定着させる動機は、やはりテストの結果しかない。悪い点を取れば、親・保護者に叱られるし、友達にも格好悪い、良ければ褒められるし、もしかしたら異性から頼りにされて、モテるかもしれない。

小学生から競争させるのは可哀想だ、という慈悲の心が、「結果を出すこと」を避けている。しかし私立中学受験を目指して進学塾で頑張っている同級生を横目で見て、普通の公立中学に通う予定の普通の小学生が「ああもう競争は始まっているんだ」と考えている現実はどう解釈するのか?そこに「親しむだけ」のカリキュラムを作ってもまさに画餅に過ぎない。

また「英語をやっておかないと、中学に入ったら苦労するよ」といくら小学生に警告することは、「今の勉強レベルでは、高校に入ったら苦労するよ」と今の中学生に忠告しても無駄なのと同じだ。人は動機のない環境にいて、しかも想像できない未来に対して本気になれない、本気になれるのは痛い目にあってからだ。

私は海外出羽守の自覚はないが、中国では小学校1年から英語は必修科目になっている。試しに Google で「中国 小学校英語 必修」とでも検索すれば、たくさん出て来る。今のところ、一応、北京や上海などの大都市では小学校1年からで、普通は小学校3年からになっている。しかしこれは恐らく全土に拡大してくいくだろう。英語学習は「社会的上昇手段として」とあからさまに位置づけられている。もちろんきちんとテストもあって、できなければ居残りになっている実情を聞いて知っている。

2020年現在で、首都圏の約140校の私立中学受験に英語が課されている。近年中に全国の主要私立中学の受験に英語が組み込まれるだろう。そうなれば公立中学に通う予定の小学生も含めて、真剣な英語の授業内容対象のテストを実施するかもしれない。その日まで待つつもりなのだろうか。時勢を先取りする気概は公立小学校の幹部にはないのだろうか。そんなことで、彼らが求めている「グローバルな教育」は、いつまで経っても具現化できないであろう、と目下矛盾続発の現状に呆れている最中だ。

もう少し続く。