思春期特有の反抗か、ヘルプのコールサインか
最近子供が、よく反抗的なことを言うようになった、のもヒントになる。
変な言い方だが「思春期の普通の反抗」なら正常な成長の証だから、まあ良い。親・保護者はど~んと構えていればそれでOK。しかし学校の勉強がだんだんわからなくなってきていることが原因の「反抗」は危ない。これは反抗ではなく、助けてくれのコールサインだ。
また経験から言えば、その子供の実の親が、子供自身が志望する高校より上のレベルを出ているなら、特にその傾向が強くなるようだ。「なんでオレはあの親の子供なのにこんなにできないんだ」、と思うらしい。可愛らしいものだが、親がそんなこと考えてもいない場合は、もっとすれ違いが激しくなる。
「高校ならどこでもいい」とか「勉強なんかできなくても生きていける」とか、まさにありふれたセリフを吐くようになると、かなり怪しい。このような「反抗期」にあたったら、まず確実に「学校の勉強についていくことが難しくなってきた、いらだちと、半分あきらめの反抗」だ。
もうすぐ1学期の成績が判定される。中学生にとっては嫌な時期でもある。自分の子供が、成績の世界で生きていけるかどうかが示されるわけだが、これは極めてシビアなものだ。学校によっては三者面談もあるだろう。そして担任がいい加減な、あるいは経験値の低い人物だと、これまたいい加減なアドバイスが来る。
学校の先生も忙しい
さらにミもフタもない話をする。学校の先生は、仮に受け持ちの生徒の成績が上がっても、下がっても、別に自分のお給料が上がったり、下がったりする環境にない。そんな地位にある人に「ウチの子の成績を上げてください」と期待するのはすこし筋違い、あるいは期待過剰だ。
学校に通う子供の環境は千差万別で、裕福で余裕のある家庭もあれば、団結はしているが貧困ぎりぎりとか、家族が壊れかかっていて虐待ぎりぎり、という場合もある。学校の先生はどのような生徒・子供にも平等に接し、福祉的な危機が訪れるのを、防がなければならない役目も、昨今大きくなっている。そういう忙しい人をアテにしても、あまり効果はないだろう。完全に、無視というのもいただけないが、どちらにしても過剰期待は禁物だ。税金を納めている人は他にも大勢いるのだから。
また「メンドーなやつ」と先生に認定されてしまった児童、子供は、放っておかれるだろう。小学校の先生も忙しいから。で、中学に入ってエライ目にあうわけだ。
例は悪いが、江戸時代、牢屋に入る新入りの罪人は、牢名主に「おみやげ」として、金銭を差し出すことが慣例だった。これを「(命の)ツルを差し出す」とも言う。手ぶらで入って来た新入りは、その場でひどい制裁を受ける。まさに「地獄の沙汰も金次第」で「安全を金で買う」わけで、重罪人ほど威張れる、価値観が逆転した世界だ。
今のは、喩が悪いかもしれないが、当方には中学校と小学校の違いに良く似ているような気がする。「おみやげ」が必要なわけで、なければ、まさに「実力」の世界に放り込まれる「中1ギャップ」も当然起きるだろう。
そうならないようにするために、反抗してきたら、あるいはやる気やなくなってきたように見えたら、あるいは部活動や趣味に過剰にのめり込み始めていないか、ぜひ親・保護者の方は見極めをシビアに行っていただきたい。