鬼と聞くと飛びついてしまう

ある人のコラムの中で「成功する人は例外なく『人を喰らう鬼』だ」とあった。私は大の「鬼好き」であるので、すぐに飛びついてしまった。

今昔物語集(「集」が付くところが肝。万葉集や古今和歌集で「集」を忘れる人はまずいないだろうが、入試で「今昔物語」と書いたらペケ)で、鬼が出るところは覚えるぐらい読んでいるし、馬場あき子氏の「鬼の研究」、高橋克彦氏の短編集「鬼」、小松先生の「鬼が作った国・日本」などは、全国民が、ぜひ一読するべきだと思っている。

たまに英語の教科書でも取り上げられる、「泣いた赤鬼」という物語を、子供の頃に読んで

1.鬼は地獄に住んでいると思っていたが、たまに山に住んでいるし、どちらかと言うと人里に近い地点にいることが多いのはなぜか。
2.鬼なのに人語を話すのはなぜか。
3.鬼には赤鬼と青鬼がいるのは人種(鬼種?)が違うからか。もっとも「おじゃる丸」の中には、名前は忘れたが、黄色い鬼もいるので、他にもいるのかもしれない。
4.鬼なのに人と仲良くしたがるようだが、それはなぜか。

と疑問を持って、祖母に質問したら「お前は変わっている」と大笑いされた記憶があるぐらい、私は鬼に興味を潜在的に持っていた。

話は元に戻る。
少し歴史を紐解けば、国を興すような英雄・英傑は主君を弑し、忠実な家臣を犠牲にし、多くの敵を滅ぼし去って、庶民を生活させる安定した組織を作り上げるのが定番だ。まさに鬼だ。何億リットルも血を流して作り上げるわけだから。

そもそも、通常の神経で務まるわけがないし、通常でないから、倫理的・道徳的に変なことができて、相手の意表を付ける、相関関係にある。そして死んだ時「聖帝」とか「征服王」とか呼ばれ、崇め奉られる。すごく怖い人だから、復活されても困るので、丁重に「祀る」わけだ。

文学で新分野を切り開いたりする天才も鬼で、通常人とは違っていた。トルストイは晩年まで異常な性欲の持ち主で、自分の母親の友人とできてしまうこともあったし、イプセンは女嫌いのくせに世間をはばかって結婚したが、家を仕切り、妻を自分の領域に入れなかった。しかし女中さんに手をつけてしまったりしている。新しく産業を興す人にも倫理観念の欠如した人が多かった。

普通の善人には思いもつかないことをやるのが「鬼」、つまり超人のこと?

この人のレポートを読んだ時に、過去と現在がつながる歴史の証明ができたみたいで非常に感銘を受けた。コラムのコメント欄に読者から「会社を本当に支えているのは、ここに書かれていない『世渡り上手』でも『落ちこぼれ』でもない至極まっとうな普通の人たちだ」とあったようだ。

もし、国や会社などの組織の中で粛々と仕事をし、お給料をもらっている人がこのコメントを書いたのなら「あなたはお人よしだなあ」と、思われているだろうし、もし組織に属さない人が、上のコメントを書いたのなら、歴史の知識なり、人生経験なりが足りないのだろう、と評価されるだろう。

喩えて言うなら、山賊たちの親分がその「鬼」で、他は手下だ。
手下にも階級があって、実際の「山賊行為」という荒事に参加する手下もいるし、その前に内偵をやる手下もいるだろう。あるいは山賊の巣で食事を作ったり、その食事の材料を買い出しに行くだけの手下もいるだろう。単純には、発言権が大きいのは「山賊行為」に参加したり、内偵ができる手下の方で、それができない手下の発言権は小さいはずだ。

確かに「支えている」のだが、そういう「鬼のような人」が、まさに山賊のように非合法な手段も辞さず、他人を蹴落とし、泣かせた上で、大きな事業を興し、仕事を得て(もしかすると奪ってきて)、その分け前をもらい、その分け前の一部分を処理作業する段階を「支えている」だけだ。

また自分たちの城は、その昔、日本の僧 円珍が中国で見たという、他人の骨でできていて、その血の海に浮かんでいるようなものだ、という認識がないとも取れる。

上司や、そのまた上の上司は、その部下が「非合法も辞さない山賊行為」に参加できる人材かどうか、「鬼になれるか、少なくとも鬼の手下になれるどうか」を見ている。怖い話だ。

鬼についてはまた取り上げるつもりだが、かの聖徳太子の母の「戒名」には「鬼」が付いているのは偶然だろうか?