醜いなあ~と思ったのが「便乗組」

国会で話題になった後、「保育所落ちたの私だ」と国会前で主張している人がテレビに写っていたが、見る人が見れば「あれは運動家だ」とわかって、それらをサイトにアップしているケースが多かった。すべてが正しいのではないだろうが、あれはいかがなものだろうか?

保育士の賃金引き上げ・待遇改善を、議員立法を検討するなど、保育の問題が「与野党の対立」を生んでいる、とインタビューアーから聞いた投稿者は、「この問題は、どこの党に所属していようが関係ない日本の問題だと思っていますので、みんな協力していって解決して欲しいと思います」と、筋の通った意見を述べておられる。国民がいないと国が成り立たないのだから、みごとな見識で、この人が国会議員になった方がいいのでは?と思えるぐらいだ。

当然にして、この人自身は国会前に行って大声を上げているヒマなどないようで、なんとかしなければ、と日々、自分にとっての「保育所問題」を解決するために、奔走していることがうかがえた。

保育園の「準うけざら的存在」の整備も必要だった

これは勝手な私案だが、保育園がすぐには無理なら、つなぎの策として、ベビーシッターへの公的な補助と、公的な監視体制の構築、空いている都内の公的物件と、ヒマな有資格者の確保など、臨時託児・保育所も作っておくべきだった。要は「コマンド オブ スペース(空間の保持と維持の戦略問題)」ではないだろうか?求められているのは、巧緻より拙速であり、なおかつ安全を優先するべき課題だ。

それらを「言葉の暴力」がむき出しにした事象と言える。その意味で「興味深かった」との感想がある。

音楽家も激烈な人が多い

次に、話は「言葉は力だ」をもう少し考えてみる。
音楽家ほど、意外に強硬的な保守派が多いことは珍しくない。しかも、あまり本人自身が、それを意識していないことも多い。例えば古くは、黛敏郎、阿久悠、最近の人ではYMOの坂本龍一がそうだ。

坂本氏が2011年に起きた原発事故の時に「天皇陛下や皇室に何かあったらどうするんですか。僕は脱藩して桜田門外の変を起こしますよ」と公言したのは有名だ。

桜田門外の変とは安政7年=1860年3月に起きた事件だ。開国主義者の大老・井伊直弼は、江戸城桜田門を出たところで、水戸藩を脱藩した人たちに殺害された。ちなみに1862年=文久2年1月に水戸浪士と各地の志士が、公武合体派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた事件は「坂下門外の変」というので、高校生間違えないようにしたい。

「大老」は今なら総理大臣にあたる。つまり、自分が所属するグループを抜けて、キャリアも捨てて、一人の人間として、間違った政策を推進する首相を、内閣府の門前で暗殺することも辞さない、というわけで、激烈すぎる。

自分のアイデンティテイーや生活基盤である国土を汚染されることに、過敏に反応したと思われる。大衆が安全でないと自分の生活が成り立たないことも勘定にはあるだろうが、音楽家だけでなく芸術家には、大衆に甘いメロディーやウケル作品を作る割に、思想は強烈な人が多い。感性を重んじ,それに従って生きてきたからだろうか。

また和歌や漢詩の世界では「君の治世」を寿ぐことが重要なテーマであることを知っているために、この発言になったのではないか、と思われる。

感性に生きる人の方が本質に敏感かもしれない

以上のことは、日頃は国のことなど考えないくせに、一旦、王国が危機に陥ると、王や王子、王女の下に、騎士や吟遊詩人が駆けつけ、団結するファンタジーの売れ線構図や、軟弱に見える男性が、いざとなると鋭い剣裁きを披露したり、敵国で情報収集に命がけで当たるストーリーと良く似ている。

GLAY の Teru も自分の身内が同じようなことになったのを踏まえて、今回の事には全面的に賛同している。「子供や女性が住みやすい世界を作らなければいけない」と考える男性性の本能だろう。

私自身は保守でも革新でもない、昔で言えば「ノンポリ=政治的信条なし」の人間だ。それでも真に「保守」するべき存在は、自然であり、伝統であり、それらを受け継ぐ子供たちであり、その子供たちを育てる人たちであり、それらや、彼らすべてが「玉」なのだ、ぐらいは知っている。最近、そのへんを忘れているか、知っていない「保守派」が多くて、驚いている。普通は自然に会得するはずだけどなあ~と思っていたのだが。理性が勝ちすぎているのかもしれない。それを「言葉」が打ち破った。

以上のようなことからとりとめもなく、とにかく「言葉は大事にしないとなぁ~」と考えた出来事だった。